同じことを訳すにも、選ぶ言葉で印象が変わる
前回の記事でも書いたように、2021年12月19日付のサッカー・ダイジェストWebの以下の記事、「ニホンはとても閉鎖的な国」清水前指揮官ロティーナが驚かされた日本の”異質な文化”を語る!「とてつもないのが・・・」という見出しを見て、自分は驚いた。
そして、実際の「ニホンはとても閉鎖的」という記事がどうだったかを知るため、スペイン語の元記事を読んでみた、というのは以下の記事でも書いた通りだ。
前回のブログ記事でも書いたように、自分は以下のようなことを考えた。
「閉鎖的」という日本語訳を当てると、スペイン人の日本に対する非難の言葉と響いてしまうリスクがある。
(過去のロティーナの日本に対する愛着を示す発言などを含め考えると)ロティーナに、日本を非難する意図はないと考えられる。
ロティーナは、言葉の問題などから、現実的に、外国人が日本に入っていくのは難しい実情や、日本人は、スペイン人のように初めからにこやかには接しない一方、外国人は一度信頼を得ると日本に入っていけるということを事実として淡々と述べている。
(元記事deia.eus)
そして、上記リンクdeia.eusの記事からサッカーダイジェストが紹介し記事にした部分に関し、自分は以下のような日本語訳をつけた。
日本で自分は大きく変わったよ。日本は入っていくのは難しいある意味で閉じられた(サッカーダイジェストでは、ここを「閉鎖的な」と訳)国だと言える。
伝統的で、外国人はそこまで多くない。観光客としての外国人はいる。けれど、仕事をする外国人となると少ないと言える。そういうこともあり、失業者は少ない。
日本では、外国人は、仕事の能力を認められた場合に、受け入れられるんだ(サッカーダイジェストの記事ではこの一行が未記載)。
そんなブログ記事を書きながら外国語を日本語に訳す場合でも、選ぶ言葉ひとつで印象が変わるなと、あれこれ考えていたら、ロティーナ氏のもとで長年通訳と分析を行なっていた小寺真人さんの、上述サッカーダイジェストwebの記事に関し記したTweetを見つけた。
A:(続き)観光客は多いが外国人労働者は少ない。でもよく働き貢献したら彼らは受け入れてくれます。
「狭き門だけど、よく働き貢献したら受け入れてもらえます」というニュアンスです。
— Manato Kotera/ 小寺真人 (@kotera_manato) December 19, 2021
「特に日本は私を大きく変えた」というポジティブな部分は使わず
「閉鎖的」という言葉を使って、見出しにしてしまったら全然イメージ変わります。
翻訳記事って難しいですね。
ロティーナさんもご家族も日本が大好きです。
— Manato Kotera/ 小寺真人 (@kotera_manato) December 19, 2021
ロティーナ氏と一緒に長年仕事をしてきた小寺氏の言葉なだけに説得力があり、また、”「狭き門だけど、よく働き貢献したら受け入れてもらえます」というニュアンス”という説明は「さすが、なるほど」と思った。
「狭き門だけど、よく働き貢献したら受け入れてもらえる」という一文が添えられていれば、ロティーナ氏に対する誤解をするリスクが一つ減ると思う。
翻訳・通訳をすることは難しく、奥深い
断っておくと、自分は、サッカーダイジェストの記事を批判するつもりはない。
もちろん、読者の注意を弾くために、同記事が意図的に「閉鎖的」という訳をした可能性もあるけれど、それは自分にはわからないし、とにかく、あれこれ非難をするつもりはない。
自分は通訳・翻訳が本業でないけれど、外国企業とも絡みがある仕事の中で英語、スペイン語、ポルトガル語での通訳・翻訳的なことをすることもある。
仕事のなかで、自分が日本語と外国語の通訳・翻訳をした後で、自分が正確でない訳をしてしまったことに気付いたり、「ああ、あの時、別の表現を使って訳をした方が、より相手に真意が伝わったかもしれない」と反省することが多々あり、この手のこと(より良い言葉を選び損ねること)は起こり得ると、身に染みているからだ。
通訳や翻訳は、外国語が話せたり読めたりする人なら誰でもできる、ということではない。
サッカー通訳の場合、サッカーの知識、外国人監督や選手の発言の真意・行間を読む力、外国人と日本人の文化の違いを踏まえた上での言葉選びなどを頭の中で瞬時に行なった上で、瞬発力とテンポよく通訳を行わないといけない。
ある外国人の発言全てをひとつひとつを忠実に直訳してしまうと、日本人にはかえって意味が伝わらないということもある。
また、一つ一つを忠実に訳しすぎると、いちいち会話の流れが止まることでサッカー上でのコミュニケーションのリズムが落ち、外国人が熱を持って話せなかったり、内容が訳を受け取る相手に入らなかったりすることもあると思う。
だから、話者の意図・真意を伝えるために、話者の発言を忠実に直訳することを捨てた方がいいことがある。
訳された言葉が、受け取る人の心の中にストンと入るように、あえて話者の発言とは別の表現を使って通訳をした方が良いということもある。
(直訳しないと、外国人監督や選手の発言を忠実に訳していないとか、誤訳だとか指摘する人も出てくる。しかし、そう言われてでも、外国人と日本人の相互理解を助けるために、意訳や、話者の表現とは異なった表現を用いる大胆な表現変更、「誤訳」と指摘する人が出うる表現を使用した方がいいことは結構多い)
通訳や翻訳は、外国語が話せたり読めたりする人ならば、誰でも務まるという訳ではない。
語学能力はもちろん大事だが、それ以上に、様々なことに対する知識、頭の回転の速さなど多くのことが求められる。
(逆に例えば、語学力は今ひとつでも、真意を掴み、その真意をシンプルな言葉でテンポよく伝える能力があれば、通訳が務まるということもあると思う)
通訳を挟むことでコミュニケーションの流れが滞ることが無いよう、多くの要素を踏まえた上で、瞬時に適切な表現・適切な翻訳を作り出し、短くかつ意図を正しく伝える表現を探し出す通訳の仕事は、芸術的な行為であると自分は思う。
例えば、2021年シーズンまで横浜FC通訳を勤めた源ガブリエル氏の以下の動画の通訳ぶりは美しい。
ヴィゼウ選手のポルトガル語を、単純に日本語訳するだけならば、ある意味で簡単な行為かもしれない。
けれど、ブラジル人ヴィゼウ選手の熱さ、話のテンポを維持しながら、ジェスチャーも交え日本語訳をタイミング良く繰り出せるのは素晴らしいと、自分は思った。
ロッカールームでの1コマ🎥#ヴィゼウ 選手がチームを鼓舞する姿が圧巻です❤️🔥#横浜FC #Jリーグ #FelipeVizeu #Vizeu#Jleague #通訳 #サッカー通訳 #スポーツ通訳 #YokohamaFC #フェリペヴィゼウ #ポルトガル語 #ポルトガル語通訳 #ロッカールーム #DAZN pic.twitter.com/tb7hgjJhJM
— 源ガブリエル@バイリンガル🇧🇷🇯🇵 (@GabrielMinamoto) October 15, 2021
Jリーグの試合前や試合後の外国人監督のインタビューで、通訳が入る場合、その通訳がどのような訳し方をするのか見るのはとても面白い。
「ここの訳し方うまいなあ」ということもあれば「ここはどう訳すのかテンパったのか、おもいっきり絞った要約にまとめたな」など色々な場面があり、通訳それぞれの訳し方一つ一つが趣深い。
通訳泣かせの、マルセロ・ビエルサ監督
サッカーに対するマニアックな姿勢からロコ(クレイジー)のあだ名を与えられているマルセロ・ビエルサ監督は、通訳に対するこだわりの強さ、通訳泣かせの行動が時々話題になる。
アルゼンチン人のビエルサは、サッカーに多くの時間を捧げすぎたことも影響し、語学勉強を後回しにしてきた。そのため、基本、スペイン語のみを話し、英語など外国語を話せない(話さない)。
しかしながら、ビエルサの実兄はアルゼンチンの元外務大臣というインテリ家系出身とだけあって、語学の知識はそれなりにある。
そんなビエルサは、通訳がビエルサの意図する表現とは微妙に異なる言葉を選ぶと、通訳の発言を訂正させることがある。
こういう光景を見ると、監督の真意を通訳するのは決して簡単でないことがわかる。
上述の動画の流れ(冒頭部分のみ文字起こし)
通訳:Banford took advantage of the fatigue of both…(バンフォードは両チームの疲労を利用し)
ビエルサ:Fatigue(疲労・倦怠感)? NO(違うだろ)! Desgasta (時間の経過や摩擦により擦り切れ弱っていくイメージのスペイン語の単語)
通訳: cansado (スペイン語で疲れるというの意味)?
ビエルサ:Cansado, NO . Desgastado(疲れているという単語は自分の意図をする表現でない。Desgastaを表現する言葉を選べ)
通訳: We are…tired
ビエルサ: No Tired (だから、Tiredという表現じゃない)I say…la fricción(摩擦のスペイン語), la lucha(戦いのスペイン語), la disputa(争いのスペイン語)…
通訳: We had a lot of fight with them and they are more…ah…fatigue…
ビエルサ: (Fatigueじゃないだろ、と通訳を睨みつける) Está bien…dígale como…mucho roce, mucho choque (まあ、いい。インタビュアーに・・・多くのぶつかり合い、多くの衝突があったと伝えろ)
上記の動画では、その後も、ビエルサの意図を翻訳し、伝えることが容易でないと示す場面が続いていく
また、下の動画では、ビエルサが通訳に向かい「もっと強い話し方で訳を伝えて欲しい(Hable más fuerte)」と求めるシーンが納められている。
ただ単に訳すだけでなく、話のトーンも含め通訳は意識を巡らせないといけないという例だろう。
通訳によっては外国人監督や選手・家族の身の回りの世話もする
また、サッカー面の通訳以外でも、サッカーチームの通訳の中には外国人監督や選手の家族の身の回りの世話(病院や役所などへの同行、買い物の手伝い)なども行なっている人もいるはずだ。
つまり、練習以外の時間でも、外国人の家族の一員のように過ごす(自分の時間が削られることもある)例もあると思う。
自分が応援する清水エスパルスの場合、2021年シーズンには6人のブラジル人選手のみならず、GKコーチや理学療法士にもブラジル出身者がおり(GKコーチや理学療法士のブラジル出身者は日本語も話すのかもしれないが、選手とその家族の多くは日本語ができないと思う)、多くのブラジル人たちがエスパルスを選び、定着してくれているのはポルトガル語通訳の影の貢献が大きいと考えている。
(更に、2021年のエスパルスにはスイス出身のコソボ代表ベンジャミン・コロリもおり、コロリに対する通訳の貢献もあるはずだ)
他のJクラブ、サッカークラブの通訳も普段は目立たないところで、外国人と日本人の間に立ち、コミュニケーションの橋渡し訳を務められるよう多くの貢献をしていると思う。
個人的には、通訳の貢献がもっと評価され、報われてほしい。
もちろん、チームには予算がある以上、場合によっては高い給料が出せないという事情があるのかもしれないけれど、それでも通訳の仕事ぶりの重要性が世間に認知されて欲しいし、もっと光が当たって欲しいと思う。
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