清水エスパルス新監督 ゼ リカルドとは何者か

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ゼ リカルドについて気になりすぎるので調べることにした

2022年6月7日清水エスパルスの新監督にブラジル人のゼ リカルドが就任することが発表された。

 

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ゼ リカルドとはどんな監督なのか。

どのようなキャリアをたどった人物なのか。

攻撃的なのか守備的なのか、どんなフォーメーションを採用するのか、どんなエピソードがあるのかなど、気になるので、あれこれ調べてみることにした。

ただ、最初に元も子もないことを言うと、良い監督なのか、どんな戦術の監督なのか、清水エスパルスをどう変えるかを自分が断言することなどできない。

なぜなら、日本で住んでいる自分は、ゼ リカルドが最近指揮したブラジルの試合をフルで確認することができないからだ。

ハイライト動画やちょっとしたインターネットの情報だけで、この監督の戦術がどうだとか、今後清水エスパルスはこうなるとか、確信をもって語る能力は自分にはない。

しかしながら、ゼ リカルドに関して色々調べてみて見えてきたこともあり、それらを紹介したい。

今回の記事では、彼がどのような道のりで監督になり、その後どのようなキャリアを歩んだかに関し調べ、書いてみたいと思う。

ゼ リカルドのインタビューの一部から、彼が監督になるまでの道のりを紹介

まずは2021年3月に配信された、以下のゼ リカルドのインタビュー動画を確認した。
動画内ではブラジルサッカーや自らの体験なども語られているが、自分が気になった部分、動画冒頭の、彼が監督になるまでの経緯について抜粋し説明をしたい。

まずはゼ リカルドとは何者なのかを教えて欲しい

ゼ リカルド:
自分はとてもシンプルな、リオデジャネイロ出身の男さ。
マラカナンのあたりで生まれ、イザベル地区に長く住んだ。

サッカーを愛する男。

また、同時にサンバも愛する。ヴィラ・イザベルというサンバがとても盛んな地区のあたりで育ったからね。カーニバルは自分の人生にとって切っても切り離せないものなんだ。

自分は、質素な家庭の出身で、イタリア系の子孫。
戦争の後、多くのイタリア人がブラジルに移民してきたよね。

生活は楽でなかったけどスタジアムでサッカーを見たりして楽しかった。昔は、試合の後半になるとマラカナンスタジアムの扉が開かれ中に入れてもらえたりしたから。

自分の幼少時代はそんな感じだった。

サッカーに対する情熱があったし、サッカー選手になろうとした。
また、フットサルもプレーした。地元のヴィラ・イザベルのチームに所属してね。

家族といるのも好きだった。

自分は人生においていつもスポーツが身近な存在だった。父親は自分も含めた子供たちに少なくとも一つのスポーツ活動をするように言っていた。

あの時代の子供はみんなそこらで遊んでいたりしたけれど、自分は最初に水泳の練習をした。

サッカーも身近にある中、地元のフットサルチームにクオリティーの高い選手がいたりして、フットサルの選手になろうと試みた。最初に情熱を感じたのはフットサルだった。

また同時にフルコートのサッカー選手も目指した。

更に、学業にも精を出しフィジカルに関し大学でも勉強した。教授たちは自分に大きな期待をしてくれた。

大学在学中もサッカー、フットサルは続けていたなか、フットサルの指導者としてのオファーがあり自分はそれを受け入れた。

指導者になり、体系立てたトレーニングをし、それが結果に結びつくことに魅力を感じるようになった。

一方、在学中に、教職課程もとって、教員の道に進むことを考えた。当時、小さなチームのフィジカルトレーナーに職を得たとしても、多くを稼げないかなと考えたから。

そして自治体の教員採用試験に合格し、新たに魅力を感じることができること、人に物を教えることをするようになった。フットサルの指導も兼任しながら。

授業をして人に何かを教え、新たな世代を更に良くしていくことは人間としてとても良いことに思えた。大学の教授になり、そこで授業をすることも考えた。

そうして教員としての活動をしているとき、あなたはフラメンゴの下部組織での職を得て、フラメンゴの育成での活動も並行して行うことになります。私(インタビュアー)は2016年当時サンパウロに住んでいて、パカエンブースタジアムでブラジルの若手の登竜門的大会コピーニャであなたがフラメンゴを率い優勝したあの特別な雰囲気を目にしました。

更に3-4ヶ月後、ムリシー・ラマーリョ監督退任を受け、あなたはフラメンゴのトップチームの監督になりました。

どんな感じだったのですか?学校で教えていたと思ったら、プロの下部組織の指導者になり、さらに世界的なサッカークラブの監督にまでなるなんて。

ゼ リカルド
全てがとても目まぐるしく進んだ。

普通はあれこれ準備をし、段階を踏んで上がっていく。
元プロ選手とかでない限り、有名クラブのトップチームにいきなり到達すると言うのは統計的にもとても稀なケースだ。

正直に言うと、いきなりフラメンゴのトップにいくとは予想していなかった。

しかし、自分は下部組織でベストを尽くして仕事をしながら準備をしていた。

フラメンゴの下部組織で経験を積んでいたから、効果的にトップチームまで上り詰められたとも言えるし、自分としては準備はできていたという感覚もあった。

ブラジルの若手の登竜門の大会を指揮して優勝をしたあと(優勝メンバーのひとりが現清水のホナウド)、フラメンゴの会長とU-20より上のカテゴリーの仕事について話した。

有望な選手が揃っていたU-20世代が、トップチームに上がってくるからね。

まずはトップチームのコーチになった。
何年か経験を積んでトップチームの監督というイメージだった。

しかし、当時の監督のムリシー・ラマーリョが健康上の問題で突如辞任をし、自分がトップチームを率いることになった。

ビッグクラブの指揮をすることは大きなプレッシャーだけれど、自分はそのプレッシャーを前向きに捉えていた。

ビッグクラブのトップチームを率いるために、感情的にも準備できている必要がある。ビッグクラブではプレッシャーのなかで、結果を示す必要があるからね。

フラメンゴの後もブラジルのビッグクラブを指揮

上述のように、2016年途中からからフラメンゴのトップチームを指揮したゼ リカルドは、2017年にはフラメンゴを率いリオデジャネイロ州選手権を優勝した。

(2017年リオデジャネイロ州選手権 決勝ハイライト動画)

その後、2017年の途中にフラメンゴの監督職を終えるとゼ リカルドは2017年途中にフラメンゴと同じリオデジャネイロのライバルであるバスコ・ダ・ガマの監督に就任。

 

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次いで2018年にはリオデジャネイロの名門ボタフォゴ、2019年にブラジル東北地方の名門フォルタレーザとブラジル南部の名門インテルナシオナルで監督を務めた。

いずれも長期政権ではなかったがブラジルの名門クラブから継続して求められる手腕はあったということだろう。

その一方で、プロのトップカテゴリーでの優勝はカリオカ(リオデジャネイロ州)選手権しかとってないとも考えられるが、強豪がひしめくブラジル全国レベルのリーグ戦、カップ戦で優勝となると難易度が非常に高いため、カリオカを取っただけでも立派とも考えれる。

その後2021年にカタールのクラブチーム、カタールSCで指揮を取った後、ゼ リカルドは2022年にセリエBからセリエAへの復帰を目指すバスコの監督に復帰。

バスコに自らの哲学の植え込みを始め、首位ではないものの、リーグ唯一の負けなしチームとして、ブラジルセリエAの昇格圏内を維持していた。

しかしながら、2022年6月5日に電撃的にバスコの監督職を辞し、日本の清水エスパルスの監督に就任することが発表された。

次回はフォーメーションや志向するサッカーについて

この記事冒頭に書いたように、ゼ リカルドが最近指揮した試合をフルで数試合見ていない自分に、彼のサッカーや、清水エスパルスが彼もとでどうなるかについて語ることは正直できない。

しかしながら、過去に採用したフォーメーションなど調べてみてわかったこともあるので、それらを次回の記事では紹介したい。


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