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2021年7月12日のインタビュー

2021年7月12日に元ベルマーレのベッチーニョによるヴァウドのインタビューがYouTubeにて配信された。

インタビューがあることは、2021年7月当時ヴァウドのSNSでも告知されたが、インタビューは日本語字幕通訳なしの生配信ポルトガル語オンリーの会話だった。それもあってか、再生回数などから判断するに、清水サポーターにインタビューで語られた内容が伝わっていないと思われる。

その動画でヴァウドが語ったことを、もっと多くのエスパルスファンに伝えたいと個人的に思い、そのインタビューの中から、ヴァウドの経歴や日本での生活などに関するコメント部分を抜き出してみた。

数ヶ月前の会話だけれど、ヴァウドの日本に来るまでの簡単な経歴とか知れて個人的には面白かった。

来シーズン、ヴァウドが清水エスパルスに残るのか現時点では未発表だけれど、自分にとって、ヴァウドは好きな選手だし、来シーズンも清水でプレーしてくれればと個人的には思う。

尚、約1時間20分の会話の全フレーズをそれぞれ訳すのでなく、話の大枠を説明するために一部意訳も交えている。

グレーの枠の部分がベッチーニョの質問で、その次にヴァウドの回答が続く。

ヴァウド・インタビュー内容

 

ヴァウド、君が日本に来る前にも色々なことがあったよね。人々は、ある選手が日本でプレーしていると、「彼は運が良い」と言う。君に関しても「ヴァウドは幸運に恵まれた」という人もいるだろう。けど、君に運があったかどうかを話す前に、君のことを聞きたいんだ。どこで生まれたのか。どんな少年時代を過ごしたのか。サッカーをプレーするきっかけ。そのあたりのことを教えて欲しい。

ヴァウド:
自分はブラジルのセルジッピ州の人口1万人から1万5千人の田舎町の出身なんだ。そこで14歳まで両親の手伝いをしていたよ。自分の父親もサッカーもプレーして、父はその地方で一番のアタッカーだったということになっている。父親がプレーするのを見て、自分もサッカーをしたいという情熱が沸いたよ。こういう経緯で自分はサッカーを始めた。

ある日、都市部に住む父親の知り合いが、都市部にあるサッカーチームのことを教えてくれた。自分はそこのテストを受けて合格した。その後、朝の7時から午後4時まで仕事をして、そのあと車で15キロくらい走った先にある都市部でトレーニングをして、また家に帰って、翌日朝はまた両親と仕事、という日々が2年くらい続いた。

そして2009年頃、ADコンフィアンサの関係者と知り合いだった友達を通じてコンフィアンサの練習に参加し気に入ってもらえた。その後、2010年から正式にコンフィアンサ所属になった。

君は今、ディフェンダーとしてとても優秀な選手になっている。けど、サッカーを始めた頃は父親の影響でフォワードだったのかい?

ヴァウド:
子供たちはみんなそうだろう?子供はみんなフォワードに憧れる。自分も最初はフォワードだった。

けど、その後自分の適正や、コーチ陣のアドバイスなどからディフェンスとしてプレーするようになり、おかげさまで、ディフェンダーとしてキャリアを続けられているよ。

君にとっての憧れの選手は誰だったんだい?今の君のポジション、もしくはフォワードとしてのアイドルは?

ヴァウド:
自分と同じポジションから二人。ルシオとチアゴ・シウバだね。

フォワードなど前でプレーする選手はテクニックが必要になる一方、ディフェンスのポジションでのミスは失点に直結するからより注意深く強い気持ちでプレーすることが求められるよね。
ヴァウド:
ディフェンスで大切なのはシンプルにプレーすること。もしもディフェンダーが前線の選手みたいにドリブルで仕掛けて相手に取られようものなら大惨事だ。だからまずシンプルにプレーすることが大切だと思う。
人々は彼は幸運だったからプロとしてプレーできているという。けど、実際には色々考え、色々なプロセスを経て、今いる場所にたどり着いているんだよね。そして、君はコンフィアンサの下部組織を経たあと、コンフィアンサのトップチームと契約する。それはどんな経緯だったんだい?
ヴァウド:
さっきも言ったように、自分は地方の田舎町出身なんだ。だから、コンフィアンサと契約するチャンスを得られてとても幸せだったよ。コンフィアンサはブラジルの東北部では知られたチームだからね。田舎町出身の自分がプロ契約を勝ち取った。夢を一つかなえた気分だったよ。

17歳でコンフィアンサの下部組織に入り、セルジッピ州から出たことがなかった自分が、サンパウロなど大都市にも試合で行くことができた。そして2012年パライバ州のボタフォゴ(リオデジャネイロのボタフォゴとは別のチーム)に期限付き移籍をし、またコンフィアンサに戻った。

パライバ州のボタフォゴでのプレー環境は厳しいこともあった。けど、そこで妻と知り合った。だから、そこでプレーした甲斐があったと思うよ。

別の幸運が君に訪れったってことだ。
ヴァウド:
そういうことだね。
そしてコンフィアンサに戻り、昇格も経験した。
ヴァウド:
そうだね。チームの財政状況は良いとは言えなかったけど、自分は全力を尽くしたし、自分なりに幸せな時期を過ごしていたと思う。
そんななか、別のチャンスが現れた。
君は激しい批判にさらされた時期もあった。批判を浴びるのはサッカー選手の宿命だけれど、そんな中でも君は戦いセアラ―州の大都市フォルタレーザを本拠地とする名門セアラーと契約した。そこでも君は成功を収めた。
ヴァウド:

セアラーでも厳しい批判も浴びたけど、モチベーションいっぱいでプレーし、幸せだった。

セアラーでプレーしてる時も、簡単でないという状況は一緒だった。けれど、セアラーという名門でプレーできるというチャンスを得ていることが重要だった。

もっと良い選手になろうと、自分が着ているユニフォームのために全力でプレーすることを心がけた。セアラーのユニフォームを着てプレーするというチャンスを逃したくはないと思った。チームのためにハードワークし、自分の全てを捧げようと心がけた。

コンフィアンサでも、セアラーでも全力でプレーし、そこで良い友人を得ることができた。

そして、セアラーの後、日本に来ることになった。ここ日本では他の人に対する敬意があるよね。日本の文化では次に起こることを考え、他人に敬意を払う習慣がある。残念ながら、ブラジルにはその点が足りないこともあるし、他人を攻撃したりすることもある。地球の裏側から日本にやってきて、どんな印象だったんだい?

 

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ヴァウド:
自分は外国でプレーしてみたいという希望があった。

それがどこの国かはわからなかったけれど、外国でのプレーに興味があった。そんななかセアラーでの2019年シーズン終盤に、清水エスパルスが、次の2020年シーズンに新しい監督を迎え、チーム戦術にあったブラジル人のセンターバックを探しているとなり自分に声がかかった。

それまでブラジルから出たことがなかった。言葉も何もわからず、一人で日本に向かった。日本でプレーしたいと思ったのは、金銭的なことというより、海外でプレーするチャンス、別の文化に触れるチャンスを得たいという理由が大きかった。

日本に着いて、大きなショックを受けた。ブラジルで慣れていたこととは違うことがいっぱいあったからね。

けれど他人に対する敬意、礼儀や教育などに感銘を受けたよ。日本では、道を歩いていても、叫んでいる人もいなければ、クラクションを鳴らしまくっている車もない。

日本に来て約1年半(インタビュー当時)だけど、日本で多くのことを学んでいるよ。また、日本では自分の家族もとても良くしてもらっている。もちろん清水との契約次第だけれど、清水でキャリアの終わりまでプレーしたいとまで感じているよ。

ブラジルはサッカーの国だ。けれど、ブラジルは、他人に対する敬意だとか日本から学べるところがたくさんあると感じている。

サッカーでは試合に負けることもある。けれど、日本では負けても選手に拍手をし、俺たちも一緒に戦う、次は頑張れと励ましてくれる。彼らの応援があるから、自分のモチベーションは高まる一方だし自分の仕事に集中できる。

こう感じられることはブラジル時代との大きな違いだ。

自分の娘も日本で学校に通っている。少しずつだが日本語も話すようになった。学校で文化も学んでいる。学校も、日本とブラジルでは大きく違うよね。

外国で暮らしているから大変なこともある。けれど、将来のためになる経験をしていると感じているよ。

自分も日本でプレーしている時、子供が日本の学校に通っていたんだ。子供の覚えるスピードはすごいよね。自分の子供は日本で充実した生活を過ごし、家族でブラジルに帰国する時も、私の子供はブラジルに帰りたがらなかったよ。
ヴァウド:
娘は朝8時に学校に行き、3時頃帰宅する。そして色々なことを楽しんでいる。
このチャンスを得られたことに感謝しているよ。そして、娘が別の言葉を話し、別の文化を学べていることはとても幸せなことだと感じている。この経験は彼女の将来のためにもなると思う。
間違いないね。ところで、君はブラジル人で日本語は話せない。君が日本に来たとき、チームに別のブラジル人はいたのかい?

ヴァウド:
日本語は全く話せなかった。自分が初めて日本にやってきた時、エウシーニョ、ヘナト・アウグスト、ジュニール・ドゥトラ、ネト・ヴォルピというブラジル人がいた。

助けてくれるブラジル人の同胞がいたことで、家にいるかのような気持ちになれたよ。

また、日本人も自分たちのことを助けてくれた。自分は日本語を話せなかったけれど、日本人選手の中には、自分とコミュニケーションを取るためにポルトガル語を使ってくれる人もいた。
自分も日本語を使ったりしようと試みている。

日本で今自分が学んでいることは、人生で心の中に留めておかないといけないことだと思う。

ところで、我々のお手本ジーコについて話をしたい。ジーコは日本で選手としてプレーした後も、鹿島や日本サッカーに大きな貢献をした。
ヴァウド:
日本に来てジーコと話をする機会を得ることができた。日本のサッカーは素晴らしい組織、運営があり、技術も上がっている。それに対するジーコの貢献は大きいと思う。
サッカーへの適応などはうまくいっているかい?

初めは難しさがあった。

最初のシーズンはオーストラリア人の監督(クラモフスキー)で、激しい動きやプレーへの関与方法など学べるとことはたくさんあった。自分としてはチーム内で一定の貢献はでき、クラブ内でも評価してもらえたと思う。

次の年に来たスペイン人(ロティーナ)は、ブラジル人のスタイルに少し似ているところはあるかな。戦術的で、ポジションを大切にし、マークの仕方、斜めの動きや、早いサッカー、ボール保持を重視する点など。彼は日本で実績がある監督だ。

サッカーは技術や戦術、マークの方法、スピードなど様々な面で進化している。
けれど、まず最初に来るのが自信だ。日本人はその点が少し自分は弱いと私は感じている。サッカーをプレーするときにはコラージェン(勇敢さ)を持たないといけないと思う。日本の選手は技術もある。戦術的にも優れている。けれど、試合で物事がうまく運ばない時に、頭がすぐに下がってしまう傾向がある。その点に関し、君はどう思う?リーグ上位の選手は、自信があり代表にも呼ばれる。今のJリーグで言うならば、川崎フロンターレの選手たちは自信がある状態だろうけれど・・・。
ヴァウド:
とても重要な指摘だと思う。文化的な影響もあるかもしれないけれど。
ブラジル人は自信や強さがあるし、チームもブラジル人にそこを求めていると思う。
エスパルスはブラジルデーで、フロンターレと対戦するみたいだね(インタビュー日はブラジルデーの前だった)。

素晴らしいことだと思う。エスパルスは伝統的にブラジル人の影響も大きいし、サポーターと一緒にこのようなイベントができて素晴らしいよ。

ここでブラジル人視聴者からの質問を紹介したい。日本の教育、礼儀正しさなどについてどう思う?
我々の人生ために、教育、礼儀正しさ、他人への敬意、次のことを考えることなど、ここで学べることがいっぱいあると感じているよ。
ヴァウド、車の運転はするのかい?
いや、日本では難しいよ。書類の手続きやなんかで免許を取れてないんだ。
では、どんな交通手段を使っているの?自転車?電車?バス?

電車かな。

コロナ禍の影響で無観客試合があり、その後少しずつサポーターをスタジアムに入れるという状態だ。サポーターの存在をどう感じている?

サポーターがいるいないとでは大きな違いだよ。

無観客でプレーするのは、なんというか、トレーニングみたいな感覚だ。
サポーターがいることでプレーする喜びもあるし、彼らがいることでモチベーションも上がる。
サポーターの存在はサッカーにとって必要不可欠だと感じている。

日本に住むブラジル人との交流はある?

ブラジル人同士で助け合っているよ。

静岡県はブラジル人が多い。特に浜松のあたりは大きなブラジル人のコミュニティーがある。

ブラジル・レストランもあるし、食材も購入できる。日本に住むブラジル人たちと話をすることもあるよ。コンフィアンサとセアラーでも一緒にプレーした(柏レイソルの)ヒシャルジソンも日本にはいるし、彼とは兄弟みたいな関係だよ。

日本食に関して難しさはあった?

ブラジル人は日本食というと寿司とかラーメンとかをすぐ連想するけれど、ビュッフェみたいな店もあるし、実際には日本食にも多くの種類の食事があるから、うまくやっているよ。

ブラジルの食材もネットで注文すれば数日後には届くから、家の中ではブラジル料理も問題なく食べられるし。フェジョンとかブラジルの家庭料理も食べられてるよ。

ブラジル人選手は近所に住んでいるの?

そうだね。チアゴ・サンタナの家はここから近い。カルリーニョスは自分の住んでいるところよりはもっと市街地だけれど、電車に乗ればすぐの距離だ。

チアゴとヘナトと自分の三人は車がないからチームの送迎車で練習に行く。
エウシーニョは日本が長いから免許を持っていて、カルリーニョスも日本で運転できる免許があって去年、車を買った。
ちなみに、ヘナトは日本で免許を取ろうと何度かトライしたけど、うまく行かなかったんだ。

インタビューの最後に何か話しておきたいことはあるかい?

清水エスパルスでプレーする機会を得られたことにとても幸せを感じている。みんなが自分のためにしてくれることにも感謝したいし、ここで学べていること、君との友情にも感謝したいよ。

この難しい年にサッカーができるように色々ワークしてくれている人たちがいることに感謝したいし、清水のために働いてくれている人たちにも感謝したい。

サポーターもスタジアムで僕らと一緒に戦ってくれているというエネルギーを感じている。
本当に色々なことに感謝しているよ。

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