ロティーナ監督契約解除。困難な状況だけれど、平岡新監督を信じエスパルスを応援し続ける

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ロティーナ監督契約解除

2021年11月4日、清水エスパルスはミゲル・アンヘル・ロティーナ監督との契約を双方合意のもと解除したと発表した。

ここ数年のエスパルスは、同一の監督が腰を据えて時間をかけてチームを作り上げることができていなかった。

2020年シーズンは攻撃的サッカーのピーター・クラモフスキーを監督に招聘したもののうまくいかずシーズン終盤に契約を解除し、コーチから昇格の平岡宏章監督が引き継いだあと、最後はある程度希望の見える戦いを見せた。

そして、今年2021シーズンは、前年に攻撃的サッカーを目指した前年を忘れるかのように、手堅い守備に定評があるロティーナ監督を招聘した。

そんな清水エスパルスのチーム作りの一貫性の無さに、自分は一抹の不安を覚えた。

とはいえ、シーズン開幕前の自分は、経験豊富なロティーナ監督のもと、上位進出はできないとしても、残留争いには巻き込まれない順位のなかで、来年以降の飛躍に繋げるための土台を作る一年になると期待した。

もちろん、昨年攻撃サッカーを志向した反動で、今年の一年はロティーナの哲学を植え付けるのに苦労する可能性も覚悟した。しかし、それでも忍耐強くチームを見守ろうと決意した。

そして、我慢強く哲学が備わるのを待った先に、東京ヴェルディやセレッソ大阪がロティーナ監督のもと成熟したチームになったように、エスパルスも大人のサッカーをするチームになると考えた。

開幕戦のアウェイ鹿島戦で勝利した姿を見た時、エスパルスも過去にロティーナが日本で指揮したチームのように、手堅いチームに育つという期待は高まった。

しかしながら、ロティーナ監督をもってしてもエスパルスはパッとしなかった。
そして、味の素スタジアムでのFC東京戦での敗戦翌日の11月4日、ロティーナ監督との契約解除が発表され、同時に、昨年同様平岡コーチが監督として残りの試合の指揮を取ることが発表された。

正直「またか」と思った。
そして、セレッソやヴェルディを進化させた経験豊富なロティーナをもってしても、清水エスパルスの状況は改善できなかったと思うとみじめな気分になった。

けれど、だからと言ってネチネチと文句うのは、状況を更に悪くすることはあっても、状況を良くなることにはつながらない。

今までチームを見続けてきた平岡新監督がベストと思って下す決断を受け入れ、応援し続けるしかないと自分は考える。

見つからなかった「ボールの出口」

スペイン人は サッカーにて「サリーダ・デ・バロン(Salida de Balón)」という表現を使う。

直訳すると「ボールの出口」で、ざっくり言うと、敵の守備網を崩すことで作られた、ボールを前に運ぶための出口というイメージだと思う。

ロティーナは適切なポジショニングで相手が自陣ゴールに侵入することを妨げる一方、自らがボールを奪ったあとは、下手に攻め急いでボールを失いカウンターをくらうリスクを犯すのでなく、丁寧にボールを回しながら相手の守備網に穴を作り、ボールを前に動かすための出口「サリーダ・デ・バロン」を作り出すことを繰り返して、相手ゴールに近づきゴールを狙いたかったと想像している。

けれど、エスパルスで起こったことは、中央の守備は意外と堅いものの、ボールを奪った後、エスパルスが良くも悪くも丁寧にボールをつないでいる間に、帰陣した相手が守備を整えてしまい、エスパルスがボールを回しても、「ボールの出口」が作り出せず、攻撃に迫力が生まれない。

もしくは、エスパルスが自分たちのボールにしたあと、「ボールの出口」を作るべくボールを動かせないようにと、相手が高い位置からプレスをかけてきて、エスパルスは自陣深くでのボール回しを封じられ、苦しくなりボールを前に蹴り出しても、ターゲットのチアゴ・サンタナが相手に集中して潰される、というものだった。

一方、昨年よりは堅くなった守備も、ボールがゴールに近づかない状況が続くと耐えきれなくなる。

また、敵の崩しを防ぐため守備のバランスを守ることで頭がいっぱいになり、ボールや相手に迫力を持ってぶつかっていくことは守備のバランスを崩すという意識になって球際など守備での迫力が弱まり一瞬の隙を突かれ失点する。

もしくは、ゾーンディフェンスの穴をセットプレーで突かれてしまう。

自分にはそれの繰り返しに見えた。

それでも忍耐強くロティーナで続けるしかないと思ったが、その一方、J1残留が危うくなった状況や、選手たちから覇気が感じられない様子を見ると、流れを変えるためにクラブが下した監督交代という決断も、ある意味では仕方がないなとも思った。

もちろん、新たな哲学を志向してはそれを諦め、暫定監督に託すことを繰り返すことを悲しく思ったが。

清水は強くないといけないけれど

清水はサッカーエリートが集う街だ。

澤登正朗、川口能活、小野伸二、高原直泰、内田篤人などが静岡県東部から清水を中心とした静岡県中部地方の高校へ越境入学をしているのを見るたびに、静岡県東部地方出身の自分は、清水をはじめとした静岡県中部はサッカー王国として飛び抜けた存在であるのが空気のように自然な雰囲気のなか育ってきた。

清水を中心とした静岡県中部の高校が全国の舞台で何度も上位に進出し、サッカー日本代表にも静岡の選手が選ばれるのを見て育った人間としては、静岡・清水はサッカーにて特別な地位にあるというのが誇張する必要のない常識として育ってきた。

そんな清水にあるプロチームなんだから、強くあることが当然、という気持ちが自分の中には常にある。

それだけに、清水のチームが、ほぼ毎年残留争いに絡む、というのは、とても歯がゆく、信じられない。

けれど、それが現実で、それを一度受け入れた上で這い上がるしかないんだと思う。

一時は世界を席巻していた日本そして日本の大企業が、世界の変化のスピードがものすごく早い現代では地位を失っていているのが現実だ。

最先端ともてはやされたものが、すぐに時代遅れになってしまうのが現代社会。
そんな現代社会のなか、戦後・バブル時代の日本の常識で「俺たちはこうやって働いてきた」と偉そうに上から物を言っても、現代社会では哀れに映るだけだろう。

それと同様に、「俺たちは静岡・清水だから」と昔の感覚を引きずったプライドをこじらせ、上から、選手やクラブをネチネチと批判したところで、状況はよくなる事はないと思う。

あれこれ言いたい気持ちは自分にもある。

けれど、自分の価値基準を押し付け、ネチネチ何かを言ってくる上司や仲間のもとで働いている人が、厳しい状況下で「この上司や仲間を男にするために、苦しいけど頑張ろう」と心の底から思えないことを考えると、今は腹を括ってチームを応援するのがベストだと自分は考える。

平岡監督がベストと思い下す決断を受け入れ、応援しようと思う

これを書いているのは、11月6日のコンサドーレ札幌戦の前で、今日の午後の試合がどうなっているのか今の時点ではわからない。

コンサドーレはペトロビッチ監督のもと良いチームを作っているし、ここ近年、エスパルスはコンサドーレ相手に苦しんでいる姿を見ているし、楽観的なことは考えられない。

けれど、どんなことが起ころうとも、エスパルスを近くで見続けてきた平岡宏章新監督が、現在のエスパルスにとってベストだと考え下した決断を、自分は受け入れ、応援しようと思う。

近年、試合を締めに終わらせるなど冷静に戦わないといけない状況でも、スタジアムが作り出す雰囲気が選手たち必要以上に前に進める空気になり、選手たちもその雰囲気に流されてしまった結果、試合を冷静に締めることを徹底できず、試合終盤に勝ち点を失うエスパルスを何度も見てきた。

自分は首都圏から静岡への移動を控えようという気持ちとともに、家庭の事情もあり、日本平まで行けない立場で恐縮だけれど、スタジアムで応援する人たちが、たとえ1ポイントのみであってもエスパルスが勝ち点を積み上げるため、選手たちが後ろめたさを持たず割り切ったプレーを遂行できるよう、冷静かつ熱く選手を後押ししてくれることを願ってやまない。

泥臭く格好悪い戦い方でも、勝ち点を拾うためにはそれが必要と受け入れ、下手に選手たちを急かすような空気にならないことを祈る。

自分はDAZN観戦になってしまうけれど、首都圏から清水に念を送りたいと思う。

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