コロコロ(チリの名門Colo Colo)のユニフォームを着ている日本人がいるぞ! テレビを見たチリ人たちがざわつく
2022年6月10日ノエビアスタジアム神戸。
キリンカップ サッカー2022にて日本代表がガーナ代表と試合をする前、チリ代表 vs チュニジア代表の試合が開催され、この試合はチリでもテレビ放送された。
試合結果は、チリが0-2で敗れるというチリの人たちにとっては心が痛む結果だった。
キックオフ時刻がチリ時刻で午前(早朝)2時15分キックオフだったこともあり、色々な意味でチリの人たちには見るのがつらい試合だっただろう。
しかし、そんな試合のテレビ放送中、ある人物の姿が映し出されるとチリ人たちがざわついた。
「コロコロのユニフォームを着ている日本人がいるぞ」
「なぜ、日本人がコロコロのユニフォームを着ているんだ」
コロコロとはチリの名門クラブで、アルトゥーロ・ビダル、アレクシス・サンチェス、イバン・サモラーノなどチリのレジェンドたちが以前プレーし、1991年にはコパ・リベルタドーレで優勝し南米王者として日本でトヨタカップを戦った。
そんなコロコロのユニフォームを着た日本人は、チリメディアの表現を借りれば「チリ代表の決戦に向けられた人々の視線を盗み」、チリのネット上などで話題になった。
そして、本件がチリでニュースになり、その記事に掲載された写真をみて清水エスパルスサポーターの自分は思わず「おお」と声をあげ、驚いた。
この人は、ヨンソン監督時代に英語通訳をされていたクリスティアン一色さんだ、と。
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レストラン Gran Micaela y Dago グラン ミカエラ イ ダゴ
チリ出身の父親を持ち、一部の清水サポーターからティティさんという愛称でも呼ばれていたクリスティアン一色さんは、2018年から2019年にかけてヤン・ヨンソン監督の英語通訳として清水エスパルスを助けてくれた方だ。
一色さんは、サッカーへも色々と貢献されてきた方だが、同時に、神戸にあるレストランGran Micaela y Dago (グラン ミカエラ イ ダゴ)のオーナーである。
そのため、清水エスパルスで通訳をされていた際はお店を休業して、通訳をされていた。
尚、同レストランの名前の由来はレストランホームページに以下のように記載されている。
長い店名の由来は、創業者夫婦の名前となっています。
GRANはスペイン語で「偉大な」を意味し、MICAELAは日本人の奥さん満子さんのカトリック洗礼名、DAGOはチリ人の主人ダゴベルトさんのニックネームです。
これで「偉大なミカエラとダゴ」という風になります。
Gran Micaela y Dago ホームページより

一色さん、チリvsチュニジア戦後 コロコロ サポータ向けメディアに紹介される
そして、チリ時刻2022年6月12日午前(日本時刻2022年6月12日夜)にコロコロ サポーター向けメディアDALEALBOに掲載された記事にて、コロコロのユニフォームを着た日本人が一色さんであったことが紹介された。
DALE ALBOが一色さんにコンタクトを取り、一色さんへの質問や、一色さんについて紹介をしている。
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上記のDALE ALBOの記事のおおまかな内容は以下の通りだ。
0-2で敗れた神戸でのチリ代表の試合中継で、2011年モデルのコロコロのユニフォームを着た日本人が画面に現れると、チリ人たちの関心が一気に彼に持っていかれた。
彼は、チリの血を引く日本人、一色クリスティアンだ。
しかし、彼は何者なのだろうか?
「私は1968年に日本に来た、元チリ海軍所属のダゴベルト・メリリャン・ハラの息子。神戸生まれなんです」と一色氏は言う。
また、彼は付け加えた。「私はグラン ミカエル イ ダゴというチリ料理のレストランをやっています。レストランにはペレやマラドーナ、ベッケンバウアー、そして1992年にはコロコロの幹部も訪問をしてくれました。1992年のコロコロの全選手のサイン入りユニフォームもレストランにあるんです」
1992年は、クリスティアン一色氏、そして彼の父親にとって最も素晴らしい年のひとつだ。
コロコロが、クラブの歴史でも特筆すべきタイトルのひとつ、レコパ・スダメリカーナをかけクルゼイロと戦うために日本(神戸)を訪問したのだ。
(レコパ:リベルタドーレス王者 vs コパ・スダメリカーナ王者の決戦)
実際、一色クリスティアン氏の父親は、レコパ優勝を祝うコロコロの写真に納まっている。しかし、一色氏は、父親と同じ幸運は得られなかったようだ。
「自分と父はスタジアムに一緒にいて、コロコロのレコパ優勝に歓喜し、父と一緒に観客席から選手たちのもとに行こうとしましたが、私だけ制止されてしまいました」
その後、一色氏はチリ、コロコロのモヌメンタル・スタジアムを訪問し、当時の優勝メンバーのひとりハイメ・ピサーロと写真を撮った(1992年当時、既に一緒に写真を撮っていた)。
「何年もあとに、ハイメ・ピサーロと再会できたことはとても素晴らしいことでした」と一色氏。
「神戸からマガジャネス(コロコロ)へ」というのが彼のお気に入りのフレーズだ。コロコロが世界で偉大であることを示しているからだ。
コロコロサポーターであることは美しいことだ。
エスパルスで通訳をされた方が、チリで話題になったと知り嬉しかった
自分がざっと確認した限りでも、幾つかのニュース媒体で「コロコロのユニフォームを着た日本人」が話題になっていた。
エスパルスを助けてくれた人が、父親の母国チリで話題になっていたのを見て驚き、そして嬉しくなる、個人的にホットな話題だった。
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