カンプノウで聞こえる、アルゼンチン訛りのスペイン語
自分はサッカー観戦をするとき、ゴール裏よりはサイド、ピッチに近い低層階より高い位置から見るのが好きだ。全体を俯瞰できるから、チームのフォーメーションや、選手個々のポジショニングが見れるのが楽しい。
2001年10月14日午後7時キックオフのFCバルセロナ対バレンシア。自分はバックスタンド3階の座席を購入することができた。
席に着くと、斜め後ろに、20代前半くらいの若いアルゼンチン人ふたり組がいた。
ふたりのうちの一人はアルゼンチンの名門ボカ・ジュニオルスのユニフォームを着ている。
彼らは、アルゼンチン訛りのスペイン語で、大声で話をしている。
「チェ(おい)、マルティン。バルサとバレンシアで、スタメンで出るアルゼンチン人は誰だ?」
(「チェ」はアルゼンチンなどで使用される感嘆詞。人を呼ぶときや、何か感情を表現する際に勢いをつけるときなど、文脈によって意味や使用法が微妙に変わる。革命家チェ・ゲバラの「チェ」も、アルゼンチン人エルネスト・ゲバラが、「チェ」を頻繁に使用したことに由来する)
マルティンという名の男が答える。「バルサには、サビオラ、キーパーのボナーノ。バレンシアにはディフェンダーのアジャラやサイドのキリ・ゴンサレスがいるな」
「(バレンシアの)アイマールはいないのか?」
「今日はいないみたいだな。あと、バルセロナではブラジル人のリバウドがスタメンに入っていない。キープレーヤーなのにスタメンじゃないんだな」
その日のスタメンは下記サイトにて表示
すると、近くに座っていた、長年ソシオとしてバルサの試合を観戦しているという雰囲気の男性がアルゼンチン人たちに言った。「リバウドはコンディションを落としているんだ」
その話を横で、聞きながら、自分は、コンディション、というよりはメンタルの問題だろうと思った。なぜなら、当時、自分は複数の媒体で下記要旨の記事を読んでいたからだ。
リバウドは、自身へのファンの態度に心を痛め、プレーすることに消極的。
リバウドは、当時パッとしていなかったバルサにて、現地ファンからバルサ不審の元凶的な扱いをされていた。スタジアムでも冷たい声を浴びせられていたリバウドは、ファンの態度は不当だと感じ「なら、俺抜きで試合をしてくれ」という心理状況だった。
アルゼンチン人の若者ふたりと、地元バルサファンの話題は、バルサからアルゼンチンサッカー、さらにボカ・ジュニオルスの話題に入った。
そこに、自分が割って入った。「今年、ボカに日本人の高原が加入してるよね」
すると、ボカのユニフォームを着たアルゼンチン人が、大きく目を見開き、驚きながら言った「日本人がボカでプレー?マジか?知らないな。チェ(おい)マルティン、知ってるか?」
「さあ、知らないなあ」マルティンは答えた。
「ちょっと前の試合で、ゴールも決めてるぜ」と自分は答えた。
だが、アルゼンチン人は、ボカに日本人が所属しているなんて信じられない、という表情で首を振りながら「こっちに来てから、ボカの試合は定期的に見れてないんだ」と言った。
RIVALDO TE NECESITAMOS (リバウド、君が必要だ)
試合は2-2の引き分けに終わった。
その試合にリバウドが出場することはなかった。バルサのプレーの内容は、バルサファン的には満足できるものではなく、試合終了のホイッスルがなると、スタジアムからは不満の声が上がった。
その翌日、Passeig de Gracia 通りの売店に並んでいる新聞を見ると、現地紙の表紙に目が止まった。
リバウドに対する万雷の拍手
バレンシア戦の3日後の2001年10月17日、自分は再びカンプノウを訪れた。
チャンピオンズリーグのFCバルセロナ対バイヤー・レバークーゼン戦を観戦するためだ。
試合開始前。スタジアムで、スタメン選手がアナウンスされた。
リバウドの名前がアナウンスされた瞬間、スタジアム中から、万雷の拍手がリバウドにおくられた。
それを見て自分は、マスコミだけでなく、バルセロナのファンもなかなか都合がいいな、と思った。
自分は、FCバルセロナに憧れ、カンプノウで試合を見ることが夢だった。そんな自分だったが、少し複雑な気分になった。
試合を通しバルサのファンは終始リバウドに優しく、試合内容は先日のバレンシア戦より良かった。
試合は2-1でバルセロナが勝利した(ここをクリックするとスタメンなどが表示)。
はじめてヨーロッパチャンピオンズリーグを観戦でき、バルサの勝利を自らの目で見ることができて良かった。
けれど、バルセロナに到着してから、直接・間接的に立て続けに2件の事件に遭遇しバルセロナで気持ちが落ち込み、さらにその後、バルセロナの人たちのリバウドに対するあからさまな手のひら返しにも少し気分が悪くなった。そのため、バルセロナ訪問前に期待していた「憧れのバルサを、生で見れて幸せだった!最高の体験だった!」という気分になれず、少し寂しい気持ちになった。
日本帰国する前に・・・
そのあともバルセロナにしばらく滞在し、日本に帰国する前日、ふたたび、カタルーニャ広場通りのインターネットカフェに行った。
受付を済ませ、地下1階のパソコンブースに向かった。
するとそこには「5,000ペセタ札を盗んだ」と自分に言いがかりをつけ、警察まで呼んだ老婦人とその友人がいた。
自分がそのふたりを怒りを持って睨みつけると、彼女らはニヤりと笑った。
彼女たちは、定期的にそのインターネットカフェに行っては、外国人観光客に言いがかりをつけ、カネを巻き上げようとしていたのだろう。
その後の話
憧れ続けたバルサを見るための、はじめてのバルセロナ訪問、はじめてのバルサ観戦は、残念ながら、少しほろ苦いものになってしまった。
残念ながら、憧れ続けていたバルセロナ訪問を機にバルサに対する愛情は薄れてしまった。
しかし、だからと言って愛着が全くなくなったわけでもない。
大学を卒業し、しがないサラリーマンになったあとも、バルサの試合は可能な限り生放送を見たりバルサ関係の記事をチェックしたり、バルセロナ再訪もするなどし、バルサの動向は継続して追っていた。
そして、はじめてのバルセロナ訪問から12年後、ネイマールがバルサに加入した2013年、カンプノウでFCバルセロナ対レアル・マドリードのクラシコ観戦の機会を得ることになる。
別の機会で書こうと思うが、クラシコ観戦のためにバルセロナを訪問するときも、ちょっとしたトラブルに遭遇した(下記リンク記事)。
けれど、はじめてのバルセロナで経験したトラブル、そしてその後もサッカー観戦や海外出張、2010年のバルセロナ再訪を含めた海外渡航を通じて様々な経験をしていたこともあり、30代でクラシコ観戦をした自分は、20代前半の自分よりは、メンタルのコントロールができたと思う。
経験というのは、なんだかんだで馬鹿にできないと思った。
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