2017年6月4日横浜F・マリノスvs川崎フロンターレ
2017年6月、パラグアイから取引先ふたりが来日した。
彼らはサッカーが好きで、ふたりともパラグアイの名門オリンピアの熱狂的なファンだった。
そんな彼らをアテンドする自分は、パラグアイの取引先の週末観光の一環としてJリーグの試合観戦をアレンジすることにした。
清水エスパルスのサポーターである自分は、エスパルスの試合観戦をアレンジしたかったが、取引先の宿泊ホテルは東京で、取引先との仕事も東京で行う必要があったので静岡行きは厳しかった。
そこで自分は東京から行きやすい横浜の日産スタジアムで開催の、2017年Jリーグ第14節横浜F・マリノスvs川崎フロンターレの試合観戦をアレンジすることにした。
日産スタジアムのスタッフの心配り
日産スタジアムでの、マリノス対フロンターレの試合を観に行くことを伝えると、サッカー好きの取引先ふたりは喜んだ。
そして、パラグアイの名門オリンピアの熱狂的なファンである取引先の一人が自分に質問してきた。
「2002年のクラブワールドカップ(当時はトヨタカップ/インターコンチネンタル・カップと呼ばれ南米王者とヨーロッパ王者での一発対決だった)で南米王者だったオリンピアは、ヨーロッパ王者のレアル・マドリードと横浜で対戦した。その当時のオリンピアのユニフォームが横浜のスタジアムに保管されていると聞いたことがある。スタジアムツアーで、それを見ることはできないだろうか?」
(2002年レアル・マドリードvsオリンピア ハイライト動画 Real Mardid YouTube)
2002年のW杯の決勝の舞台になった日産スタジアムは、ワールドカップにちなんだスタジアムツアーが用意されていることは聞いたことがあった。
(日産スタジアム ワールドカップ スタジアムツアー)
しかし、クラブワールドカップにちなんだグッズの展示などがあるのか、自分にはわからなかった。
そこで自分は、日産スタジアムに電話し、ツアー内容や展示品に関し質問することにした。
電話をかけると、感じのよい男性スタッフが電話対応をしてくれた。
その男性スタッフによると、スタジアムツアーは自分が試合観戦をアレンジした日は開催されず、更に、スタジアムツアーにはクラブワールドカップに関する展示品は無いとの回答だった。
オリンピアの展示品は見られそうにない。残念ながら仕方がない。
そう思った自分は、電話対応してくれた男性に礼を言い、今回の質問の背景を伝えた。
すると、電話対応の男性スタッフが「そういうことだったんですね。少しお待ちください。何かできないか確認をします」と言って電話の保留ボタンを押した。
しばらく待ったあと、上司等と確認したと思われる男性スタッフが戻ってきた。「その日、試合前のイベントの一環としてスタジアムの外にワールドカップ関連グッズなどを展示するんです。そこでスタッフに声をかけて頂ければ、オリンピアのユニフォームをお見せできるよう特別に手配致します」
「本当ですか?」と自分は言った。思わぬ配慮を頂くことになり自分は驚いた。「特別な配慮を頂きありがとうございます」
そして試合当日、パラグアイ人ふたり及び日本人の自分の合計3名全員は、白と黒のオリンピアのユニフォームを見にまとい、日産スタジアムに向かった。
日産スタジアムに着くと、ワールドカップにちなんだグッズを展示してあるイベントエリアに行き、スタッフに「パラグアイのオリンピアの件で・・・」と声をかけた。
すると、声をかけられた男性スタッフは感じの良い笑顔を浮かべ「ああ、あの電話の!お待ちしていました」と言った。
彼は、電話対応をしてくれた男性スタッフだった。
そして、2002年のクラブワールドカップでレアル・マドリードと戦ったオリンピアの選手のサインが入ったオリンピアのホームゲーム用のユニフォームを出してくれた。
(ちなみに、2002年のレアル・マドリード戦では、オリンピアは黒のセカンドユニフォームを着用したが、日産スタジアムに保管されていたのはホーム用の白がベースになったユニフォームだった)
「おおおーーーー」とパラグアイの取引先ふたりは大興奮だった。
そして、そのユニフォームと一緒に記念写真を撮影し、とても喜んでいた。
パラグアイのオリンピアは1979年,1990年,2002年の3度南米王者を決めるコパ・リベルタドーレスを制しており、1990年(vs ACミラン)と2002年(vsレアル・マドリード)の2回、クラブ王者の座をかけて日本で試合をしている。
そんなオリンピアのファンにとって日本は特別な場所で(日本に行くことを夢見るという内容の、オリンピアサポーターのチャントも存在する)、その日本でレアル・マドリードと試合をした選手たちのサイン入りユニフォームを目の前にでき、取引先は幸せそうだった。
中立な立場から見るマリノスサポーターが作る雰囲気は美しかった
苦しいシーズンが続いている清水エスパルスを応援する自分は、Jリーグの別のクラブのサポーターが作り出す雰囲気やチャントを楽しむ余裕がなかった。
例えば、パラグアイ人たちを観戦に連れて行った2017年6月4日の少し前、2017年5月27日に、自分は静岡県の日本平へ清水エスパルスvs横浜F・マリノスの試合(1-3で清水の負け)を観に行っていた。
日本平でのエスパルス対マリノスを観に行った自分は、試合を通じナーバスになり、イライラしていた。
パラグアイ人たちと横浜に来た1週間ほど前にマリノスの応援を見たとき、自分はマリノスの応援に感心することなどできなかった。
しかし、その日、日産スタジアムで試合をするのはマリノスとフロンターレだった。
清水エスパルスは目の前にいない。
中立な立場ゆえ、自分は純粋にサッカー観戦ができた。
エスパルスの試合も、こうやって落ち着き平穏な気持ちで楽しめればと思った。
その日は神奈川ダービーということもあり、42,000人以上の大勢観客が入っていた。
試合開始前スタジアムに民衆の歌が流れた。
すると自分は、その荘厳な雰囲気に感心した。
そして、民衆の歌に合わせてスタジアム中のマリノスファンたちが旗を振ったりする姿はとても美しかった。
マリノスサポーターのチャントは南米のスペイン語圏の国で歌われるチャントに影響を受けているものも少なくなかった。
パラグアイから来た取引先たちは、聴き慣れたメロディーで歌われるマリノスのチャントを聞いて喜び、その様子をスマホで撮影していた。
マリノスの10番は誰だ?
はじめてのJリーグ観戦体験を楽しんでいたパラグアイ人ふたりが自分に言った。「マリノスの10番(齋藤学)は凄いな。あの10番は誰だ?なんて名前だ?」
自分は答えた。「齋藤学という名前で、ざっくりいうとメッシみたいな選手です。とても良いドリブルを持っていて、相手を抜くことも、相手を自分に引きつけてボールを味方に出すこともできる、とても素晴らしい選手です。日本代表経験もあり、前の年はJリーグベスト11にも選ばれました。あとサッカーとは別の情報として、アメリカのプロレスWWEが好きです」
(Photo: 齋藤学Instagram)
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「本当ににメッシみたいだな」とパラグアイの取引先ふたりは興奮しながら言った(WWE好きという情報はスルーされた)。その瞬間、齋藤学がまた良いプレーを見せた。パラグアイの取引先たちがスペイン語で歓声を上げた。「サイトーは凄い。ワールドクラスだ」
自分は答えた。「斉藤は高いレベルでのプレーを求め、シーズン前にヨーロッパ移籍を模索したというニュースがありました。けれど、契約締結に至らなかったみたいです」
パラグアイ人が興奮しながら言う。「南米じゃダメなのか?サイトーなら(パラグアイの)オリンピアでも違いを見せられると思う。オリンピアはコパ・リベルタドーレスの常連だし、アルゼンチンやブラジルの名門チームとも戦える。悪くないだろう」
「どうでしょう」と自分は言う。「自分は、南米のレベルの高さはよくわかってますし敬意もあります。それでも、率直に言うと、日本人は南米よりはヨーロッパを目指す傾向があります。また、南米の試合は日本ではテレビ放送が少なく、チェックが難しいため、日本代表監督から見られない可能性もあります。そのため、斉藤がパラグアイに行くというのは、難しい話だと思います」
「なるほど」とパラグアイ人。「けど、オリンピアでプレーするサイト―を見たい。そうだ。今ここでサイトーのプレーをスマホで撮って、それをオリンピアのサポーター向けにSNSで動画を流したらどうだろうか?自分たち以外のオリンピアファンからも『サイト―が欲しい』と言うムーブメントが起きて、移籍話が進むかもしれない」
「それはやめておきましょう」と自分はSNS拡散作戦を制止した。
ふたりはパラグアイではリーグ戦のみならずコパ・リベルタドーレスの試合も定期的にスタジアムで観戦し、南米最高峰のレベルを常に感じていたし、サッカーを見る目は肥えている。
彼らは、現在ヨーロッパのビッグクラブでプレーしているブラジルや、アルゼンチンや、ウルグアイの出身の有名選手たちがまだ南米でプレーしていた頃、コパ・リベルタドーレスの試合などでスター選手たちの若き姿を生で見たことがある。
特に、パラグアイ人ふたりのうちの一人は、育ちがアルゼンチンのブエノスアイレスだったため、アルゼンチンに住んでいた期間は名門リーベルプレートの試合を観に定期的にリーベルのホームスタジアムに通っていた(アルゼンチンに住んでいる間も、オリンピアをテレビで応援していた)。
彼がアルゼンチンから生活の拠点をパラグアイに移した後は、オリンピアのホームでの試合がある場合、自らがパラグアイにいる限りは基本全試合スタジアムで観戦し、2002年にオリンピアがコパ・リベルタドーレスの決勝まで進んだ際には、決勝第二戦ブラジルでのアウェイ戦を見るために長距離遠征をし、完全アウェイの地でオリンピアのコパリベルタドーレス杯優勝を見届けていた。
テレビ観戦だけでなく、スタジアムにても数多くの生観戦を経ているだけに、彼のサッカーを見る目は確かだった。
そんなパラグアイ人が斉藤学はすごいと連呼していた。
「サイトーは本当に良い選手だ。パラグアイに連れて帰りたい」と取引先の身分が高い方のひとりが言った。「君が代理人になってパラグアイのオリンピアの契約をまとめろ。パラグアイサイドの手続きは俺たちがなんとかする」
パラグアイの取引先は冗談めいて言ったが、彼らはパラグアイでは高所得者層に属し、特にふたりのうちの一人はパラグアイで影響力がある人たちにも知り合いが多いこともあり、本気になればオリンピアの幹部まで話を持っていける可能性はありそうだっただけに完全に冗談とは自分は思えなかった。
しかし、何はともあれ、当時の自分には、齋藤学がマリノスを出るとは想像できなかった。
また、エスパルスのファンの自分がマリノスの選手の移籍に絡むのも何か違うと思ったし、そもそも自分は代理人ではない。
更に言うと、齋藤学には既にアルゼンチン出身の日系人ロベルト佃氏との代理人契約があったはずだ。
そのため、斉藤を自分が仲介してオリンピアに連れて行くことはとても難しいだろうと自分はパラグアイ人たちに伝えた。
するとパラグアイ人たちは笑いながら言った。「君が今代理人でなくても、そんなの何とかなる。さっきも言ったように、私たちが手はずを整えることはできる。また、サイトーの代理人がアルゼンチン人なら、我々とスペイン語で話ができるし良いじゃないか。サイトーは本当に良い選手だ。オリンピアに欲しい」
そんなことを話し合いながら観戦した試合はマリノスが2-0でフロンターレに勝利した。
(2017年横浜F・マリノスvs川崎フロンターレ試合ハイライト)
パラグアイ人ふたりは試合を通じ齋藤学を絶賛し続けた。
自分も、齋藤学は良い選手だと再確認をした。
その後、彼らがパラグアイに帰国した後も、パラグアイ人の二人はことあるごとに「サイトーはどうだ?」と自分に質問をしてきた。
ある日、齋藤学が同じ2017年のシーズン中に大怪我を負ってしまったことを説明すると、パラグアイ人たちは心底悲しそうな口調で残念がった。
輝く齋藤学をもう一度見たい(ただし、清水エスパルス戦以外で)
そんななか、2017年のシーズン後に、齋藤学が横浜F・マリノスから川崎フロンターレに移籍するとなった時には自分はとても驚いた。
マリノスのサポーターにとっては、下部組織からマリノスで育った齋藤学が同じリーグのライバルに、移籍金ゼロで移籍すると言うのは受け入れられなかっただろう。
2017年シーズン開幕前に齋藤学が欧州移籍を目指すもうまくいかなかった後も、マリノスは2017年シーズンに斎藤を受け入れたなどの背景を考えると、マリノスサポータの心の中には、エスパルスサポーターの自分には想像できない次元で、多くの複雑な感情があったと思う。
一方、齋藤学には、巻き起こる批判や憎悪の声を予想してもなお、時間が限られたサッカー選手としてのキャリアを考えたときに、あのタイミングでの移籍が必要と判断した理由があったのだろうと想像する。
自分は、齋藤学の移籍の是非を論じる立場にない。
けれど、マリノスを出たあと、川崎フロンターレや名古屋グランパスで、出場時間が限定されている斎藤学を見たときなど、自分は漠然と、「もしも自分があの時、斉藤学の代理人などに、ダメもとでも、パラグアイのオリンピア移籍話を持ちかけていたらどうなっていただろうか」と妄想することがある。
もちろん、サッカー界とはなんの関係も人脈も無い自分が、齋藤学サイドに突然コンタクトを取って、「パラグアイへの移籍に興味あります?」と言ったところで変な人扱いされていただろう。
また、そもそもの話として、自分はサッカー業界で働いていないし、齋藤学のオリンピア移籍案は自分とパラグアイの取引先との間で交わされた、知り合い同士でのサッカー観戦での、よくある冗談めいた雑談にすぎない。
けれど、もしも齋藤学がオリンピアに移籍し、リベルタドーレス杯で試合に出て活躍することで、ヨーロッパのチームからオファーが来たかもしれないと考えてしまうことが、自分にはある。キレキレだった頃の齋藤学ならありえない話ではなかったと思う。
川崎フロンターレ、その後名古屋グランパスに移籍した斎藤学も良い選手であることに変わりはないのだろう。
けれど、マリノス時代と同等以上のインパクトを残しているかというと、そこは微妙なところだ。
サッカーでは数字やデータが全てではないけれど、出場時間などを見るとマリノス時代のように怪我がなければ常にスタメンという状況でないし、齋藤学がインパクトを見せる活躍をしたというニュースも以前と比べると少ない印象が自分にはある。
もちろん、そこには、怪我の影響、フロンターレやグランパスの充実した選手層や、移籍先のチーム戦術と齋藤学のプレーとの相性、所属チームでの起用法やその他チーム事情など様々な難しさがあるのだと想像する。
また齋藤学も年齢を重ね31歳(2022年4月で32歳)となり、年齢や体の動きに合わせプレースタイルを調整する必要があるのかもしれない。
しかし、あの頃別格の活躍を見せてくれた才能は彼に残っているはずだし、日本には30代を過ぎて尚、選手として凄みを増し、貫禄のあるプレーを見せている選手は少なくない。彼にもそうなって欲しい。
30代になった齋藤学が、20代の頃とは形を変えつつも、凄まじい光を放つ可能性は充分にあると個人的に考えるし、そう期待したい。
2017年6月に、パラグアイの取引先と横浜でサッカー観戦をしたあの日、素晴らしい才能を見せてくれ、パラグアイ人たちに「彼をパラグアイに連れて帰りたい」と言わせた齋藤学にはもう一度、明らかに別格の選手という輝きを見せて欲しいと心の底から思う。
ただし、清水エスパルスとの試合以外で。
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