はじめに
「ウルグアイに行く」と言うと、多くの人から「大丈夫?」とか「気を付けて」など、自分がとても危険な地域にいくかのように心配されます。
その心配は正しく、ウルグアイの治安は日本に比べれば良くありません。
日本人がウルグアイに行く場合、身の安全に注意を払う必要があります。
しかし、他の中南米諸国と比べると、ウルグアイの治安は安定しています。
そのため、安定した治安のなかでほっと一息つくためのバカンス地として、ウルグアイは中南米の人たちの間で根強い人気があります。
また、日本人は中南米人をひとくくりに考え、中南米の人たちはどこの国の人も「ザ・ラテン」ともいうべき、「陽気だけどだらしない人が多い」という印象を持つ人が少なくありません。
しかし、サッカーなど感情を爆発させる場面を除き、ウルグアイの人たちは、普段の日常生活でにおいて物静かで真面目な人が多いと自分は感じています。
ウルグアイは自分にとって特別な国で、2008年から新型コロナが発生する前の2019年まで毎年(場合によっては年に複数回)ウルグアイを訪問するたびに、独自の魅力がある、日本人にもっと知られてよい国だと思っています。
しかし、日本では、何人かのウルグアイ出身の有名サッカー選手の名前や、サッカーワールドカップの初代開催国で初代王者であることは知っているけれど、国としてのウルグアイや、ウルグアイの人びとについてはあまり知られていない、という印象が自分にはあります。
そんななか、自分なりにウルグアイのことを語りたい、と思いこの記事を書くことにしました。
主観も入ります。
ウルグアイを知っている方々のなかには反論もあるかもしれませんが、自分の経験上感じたことを紹介させて頂ければと思います。
Diario Japonés的ウルグアイ東方共和国 基本情報(1)
実際の人口は300万人より多い347万人ですが、これは自分の出身地である静岡県の人口(2020年の統計で人口約364万人)に近い規模で、一国の人口としては小さいことがわかります。
この「人口が少ない」というのがウルグアイを理解するうえで、とても重要なポイントのひとつになります。
サッカーワールドカップ南米予選に参加するライバル国のおおよその人口は、下記の表の通りです。
どこもウルグアイの347万人より人口が多くなっています。
ブラジル | 2億1,210万人 |
コロンビア | 5,090万人 |
アルゼンチン | 4,540万人 |
ペルー | 3,300万人 |
ベネズエラ | 2,840万人 |
チリ | 1,910万人 |
エクアドル | 1,760万人 |
ボリビア | 1,170万人 |
パラグアイ | 710万人 |
人口の規模は経済発展に大きく影響します。
たとえばジュースを販売するにしても、2億人の市場に販売するのと、300万人の市場に販売するのでは売上・利益・創出できる関連雇用の規模に大きな差が出ます。
サッカーを例に挙げて考えると、ブラジルでは、多くのサッカークラブがあっても、2億1,210万人の人口がいるため各スタジアムで多くの集客が見込め、また放映権や物販など関連利益や雇用も大きくなります。
しかし、ウルグアイでは人口が347万人のため、全サッカーファンの規模に限界があります。そのため、実は、大きなスタジアムが満員になるのは現地競合2チームの対決であるペニャロール対ナシオナルなど、限られた試合のみになり、スタジアムでの物販やファンクラブ会費などの収益規模やサッカーに付随する雇用も必然的に小さくなります。
一方、ウルグアイの人たちは表向きでは自分たちは小国だと謙虚に振る舞うけれど、本音では「小さいからといって絶対にナメられたくない」と言う強烈な反抗心を抱えるという印象が自分にはあります。
ウルグアイの人たちは、自分たちの国が小さい国であることをわかっており、外国人と話すときは「自分たちの国は小さいから」と謙遜して話します。
また時には、こちらがウルグアイの人たちに、ビジネスでこちらから何か要求を出す際、こちらの要求が先方にとって達成することが難しい場合、ウルグアイの人たちは「先進国のようにビジネスを進めることはできない」と自分たちが小さい国であることを、言い訳に使ったりもします。
しかし一方で、ウルグアイの人たちは自国にプライドがあり、人口が少ない、市場規模が小さい、小国だ、と見下された扱いを外の人間からされると、怒りをともなった強烈な反抗心を見せます。
ウルグアイの人たちが自らのそんな反抗心を自覚しているかはわかりませんが、仕事でウルグアイの人たちと接している自分は、ウルグアイの人たちが、自らが軽く扱われることに対し、ときに過敏なまでの警戒心を持っていると感じることがあります。
自分はウルグアイのことが心底好きで、ウルグアイの良さを尊重しています。
それでも、仕事の面などで、言うべきことは相手に言わないといけないというような場面があります。それは相手が誰であっても、たとえば、アメリカ人に対しても、ブラジル人に対しても同じことを言う、と日本人の自分は確信をもって伝えるであろう事柄で、それを自分は相手に説明します。
しかし、そういう状況で、ときどきウルグアイの人たちの反応を見ると「俺たちのことを軽く見ているから、そういうことを言っているのか?」と警戒している雰囲気を感じることがあります。
けれどそれは、ウルグアイの多くの企業や人が、人口が小さいゆえに、海外の取引先などからウルグアイは市場規模が小さいとみなされ、ビジネスなどで優先順位を下げられる扱いを実際にされたりと、人口が小さい国ゆえの難しさに直面し続けてきた歴史があるからなのかもしれません。
また、ウルグアイの国民一人ひとりに、人口が少ない自分たちが大国たちに勝つためには、仲間を守りながら団結して戦うことが絶対に重要であるという自覚があると自分は感じています。
2014年のワールドカップのウルグアイ対イタリアの試合で、ウルグアイのルイス・スアレスがイタリア代表のジョルジオ・キエッリーニに噛みつき、試合後FIFAから代表戦9試合の出場停止と、4ヶ月間すべてのサッカー活動禁止の制裁を課されました。
噛みつきは悪いとはいえ、それに対する制裁として4ヶ月すべてのサッカー活動禁止は重すぎるとも見れます。
とはいえ、これが日本であれば「制裁は重すぎるが、試合中に噛み付くというスアレスの行為にも非がある」とスアレスの行為を咎めるような声も出るでしょう。
しかし、ウルグアイでは違いました。
皆で徹底的にスアレスをかばいました。
たとえば、噛みつきが起こったイタリア戦の試合後の記者会見では、ウルグアイ代表キャプテンのディエゴ・ルガーノに、英語圏の記者がスアレスが起こした噛みつき事件に関し質問をしましたが、ウルグアイのルガーノは事件なんて無かった(スアレスは悪いことをしていない)と一貫した姿勢でスアレスを守りました。
その時のやりとり要旨は下記です。
(英語圏記者 たどたどしいスペイン語で)試合中のルイス・スアレスの「事件」のことについて聞きたいのですが
(ウルグアイのキャプテン、ディエゴ・ルガーノ)事件?事件って何のことだ?言ってみろ。
(英語圏記者)英語で説明しましょうか?
(ルガーノ)スペイン語で話す。何の事件だ?何の事件について話をしてるかわからないな。プレミアリーグでの話か?
(記者)事件はなかったと?FIFAがスアレスに制裁を課しましたが
(ルガーノ)知らないな。英国のマスコミがスアレスに言いたいことがあるのかもしれないが、俺たちはイタリアに勝てて満足だ。
また、スアレスが噛みつき事件を起こした後、当時のウルグアイ大統領で、日本でも一時話題になったホセ・ムヒカは、ブラジル・ワールドカップを戦ったウルグアイ代表を出迎えるためにウルグアイのカラスコ国際空港まで出向きました。
そこでスアレスへ制裁を課したFIFAについて記者から質問されたムヒカ大統領は、スアレスのことは悪く言わない一方、放送禁止用語を交えた強い表現を使ってFIFAを非難しました。
(記者たちから「大統領、今の発言は使っていいんですか?」と質問されたムヒカ大統領は「構わない。使ってくれ」と答えました)
ムヒカ大統領が放送禁止用語を使用しFIFAを非難した映像はこちら。
また、その後、ムヒカ大統領はブラジルの大手紙「エスタード・デ・サンパウロ」にインタビューされた際は以下のような発言をしました。
(ムヒカ大統領)ウルグアイは奇跡みたいな存在なんだ。人口300万人だぞ。ブラジル・サンパウロの一つの地区と同じくらいの人口なんだ。そんな中で良いチームを作ってるなんてすごいじゃないか。
もちろん、自分は全ての試合に勝って欲しい。けど、それはいろいろな要素が重なり合うから難しいと認めないといけないんだ。けれど、それと同時に、(勝ち続けることは)不可能でもない。サッカーは色々なことが起こり得る素晴らしいものなんだ
(ブラジル紙の記者)スアレスについてはどうですか?あの噛みつきの・・・
(ムヒカ大統領)スアレス?スアレスがどうしたんだい?知らないな。レフリーは試合中にファールを取らなかったんだろ?それが全てさ。
我々が大好きなスアレスは・・・素晴らしいサッカー選手だ。素晴らしい選手ってのは、ときどき、ストリートで遊ぶ少年みたいになるものだ。
上述の件はあくまで一例です。
これ以外にも、実体験としてこんな例があります。
自分がウルグアイの人たちと仕事の上で交渉をするときなど、「客観的に見て、自分たち(日本サイド)の言うことが正しい。少なくとも、一理はあるだろう。その点は認めた上で議論を続けるべきだ」という状況があるとします。
日本人相手なら「その点は確かにそうかもしれませんが・・・」と、先方がこちらの意見に正しい部分があることを認める姿勢を見せるということも少なくありません。
けれど、ウルグアイの人たちは、こちらの意見を受け入れる気配など出す人はひとりもおらず、芸術的なまでに一丸となって、譲歩の姿勢など一ミリも見せず、ウルグアイ側の主張を貫き通す団結力の強さを出すことがあります。
その結果、交渉がタフなものになる、ということがしばしばあります。
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