2026年10月12日

「日本サッカーは過小評価されている」元G大阪監督ポヤトスが語る日本での5年間…徳島降格の苦悩、G大阪再建の舞台裏と退任の真相、そして次なる挑戦

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かつて徳島やガンバ大阪を率いたポヤトス氏がポッドキャスト『Pausa de Hidratación』に出演した

徳島ヴォルティスとガンバ大阪を率いたスペイン人指導者、ダニエル・ポヤトス氏が、母国スペインのポッドキャスト『Pausa de Hidratación』に出演し、日本で過ごした5年間を振り返る動画が10月11日に公開された。

 

徳島での異例の監督生活の始まりやJ1降格、主力選手の大量流出を経たチーム再建、さらにはG大阪での補強をめぐる制約やトレーニング環境の改革について率直に言及。日本サッカーの競技レベルを「アジア最高」と絶賛する一方、次の監督就任については「早い決断ではなく、良い決断をしたい」と慎重な姿勢を示した。

 

◼️ポヤトス氏が出演したポッドキャスト『Pausa de Hidratación』

 

エスパニョールやレアル・マドリードの育成組織で実績を積み、ジョルディ・クライフ氏のアシスタントやギリシャのパナシナイコスの監督を務めてきたポヤトス氏。2021年に徳島ヴォルティスの監督として来日すると、2023年からはガンバ大阪の指揮官に就任した。

 

G大阪では就任初年度の2023年にJ1で16位と苦しんだものの、翌2024年には4位に躍進。天皇杯でも準優勝を果たし、2025年にはAFCチャンピオンズリーグ2(ACL2)でグループステージ6戦全勝を記録した。

 

2025年限りでG大阪を退任したポヤトス氏は、今回のインタビューで日本での成功と失敗、そして監督として直面したさまざまな難しさを包み隠さず語っている。

 

◼️コロナ禍で始まった徳島での挑戦「スペインから映像で練習を見ていた」

 

ポヤトス氏にとって、日本での監督生活は予想外の形で幕を開けた。

 

2021年、J2優勝を果たしてJ1へ昇格した徳島ヴォルティスの監督に就任。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う日本政府の入国制限により、開幕前からチームに合流することができなかった。

 

「本が一冊書けるくらい、いろいろなことがあった。日本は国境を閉ざしていて、誰も入国できなかった。プレシーズンの段階から、私たちはバルセロナで練習の映像を見ていた」

 

アシスタントのマルセル・サンス氏とともにスペインに留まり、現地の暫定監督やスタッフを通じて指示を出すという、極めて異例の形でチームの指揮を執ることになった。

 

「映像を見ながら指示を出すことはできたけれど、日々の練習に直接関わることはできなかった」

 

ポヤトス氏は、来日までに長い時間を要したことを振り返っている。実際には2021年3月30日に日本へ入国し、隔離期間を経て4月15日にチームの練習へ初合流。17日の鹿島アントラーズ戦からベンチで指揮を執った。

 

すでにJ1リーグは2月に開幕しており、シーズン序盤を監督不在のまま戦わなければならなかった。

 

しかも、徳島はJ1に昇格したばかりのクラブであり、ポヤトス氏自身も残留を目指す厳しい戦いになることを理解していたという。

 

「大きくないクラブだったけれど、才能のある若い選手たちがいた。ただ、残留を目指して戦うチームだった」

 

当時のチームには、後に欧州へ渡る宮代大聖や藤田譲瑠チマらも所属。若い才能を擁しながら、ポヤトス氏は日本での最初のシーズンを戦うことになった。

 

◼️最終節でJ2降格…広島に2-4で敗れた苦い記憶

 

2021年は、J1から4クラブが降格する特別なシーズンだった。

 

徳島は終盤に巻き返しを見せ、最終節まで残留の可能性を残した。特に第36節のFC東京戦、第37節の湘南ベルマーレ戦に連勝し、残留争いを繰り広げる湘南と勝ち点36で並んだ。

 

しかし、得失点差では湘南が大きく上回っており、徳島は最終節で勝利を目指さなければならない状況だった。

 

運命の最終節、徳島はホームでサンフレッチェ広島と対戦した。

徳島は前半を0-3で終えた。後半には岸本武流と一美和成の得点で2点を返したものの、広島にも追加点を許し、2-4で敗戦。最終順位は17位となり、J2降格が決定した。

 

同時刻に行われた試合では湘南がG大阪と0-0で引き分けており、徳島が勝利していれば勝ち点で湘南を上回り、残留できたことになる。

 

監督が開幕前からチームと直接向き合うことすらできなかったシーズンは、残留目前で苦い結末を迎えた。

 

◼️主力13〜14人が流出…徳島での2年目は「チームを作り直した」

 

しかし、ポヤトス氏の徳島での挑戦はそこで終わらなかった。

 

翌2022年、J2での再出発にあたって直面したのは、主力選手の大量流出だった。

 

ポヤトス氏によれば、降格に伴って13〜14人ほどの選手がクラブを離れたという。

 

「翌年の2部リーグでの経験も、また大変だった。13人か14人以上の選手が出ていった。2部でプレーしたくないという選手たちもいた。ただ、これはどこのクラブでも起こることで、特別なことではない」

 

大幅に戦力が入れ替わるなか、チームの再構築を余儀なくされた。

 

「私たちはもう一度、自分たちを作り直した」

 

新しい選手たちとともにプレースタイルを築き直し、J1復帰を目指すことになったが、シーズン序盤は引き分けが多く、思うように勝ち点を伸ばせなかった。

 

それでも徳島は徐々に成績を改善。第23節からは19試合連続無敗を記録し、最終節までJ1参入プレーオフ出場の可能性を残した。

 

しかし、最終節のモンテディオ山形戦で0-3と敗れ、最終順位は8位。プレーオフ進出には一歩及ばなかった。

 

それでも、J1降格に加えて多くの選手が入れ替わったチームを立て直した仕事ぶりは、ほかのクラブからも注目されるようになった。

 

その一つが、当時J1で低迷していたガンバ大阪だった。

 

◼️G大阪からのオファー「新しいサッカーの哲学を築くために時間を与えてくれた」

 

徳島での2年目を終える頃、G大阪が自身の招聘に関心を示しているという話がポヤトス氏のもとに届いた。

 

2022年のG大阪はJ1で15位に終わり、終盤まで残留争いを強いられていた。

 

しかし、クラブ側は単に目先の成績を改善するだけでなく、新たなプレースタイルを構築することを望んでいたという。

 

「ガンバ大阪は非常に苦しい状況にあった。降格争いをしていたけれど、新しいプレーのアイデアを導入したいと考えていた。そして、その哲学を築くために監督に時間を与えたいと言ってくれた」

 

ポヤトス氏にとって魅力的だったのは、チームを根本から変えるために一定の時間が与えられることだった。

 

「日本は、ほかの国よりも監督に時間を与えてくれる。これは世界中どこでもあることではない」

 

短期的な結果だけでなく、プレーの原則やチームとしての方向性を確立する仕事ができると感じ、G大阪での新たな挑戦を決断した。

 

しかし、名門クラブの再建は想像以上に難しいものだった。

 

◼️「降格するのは1チームだけ」G大阪初年度の補強をめぐる難しさ

 

2023年、ポヤトス体制初年度のG大阪は16位に終わった。

 

リーグ戦の成績は9勝7分け18敗。シーズン途中には改善の兆しも見せたものの、終盤には黒星が重なった。

 

ポヤトス氏は当時を振り返り、チームの競争力を維持しながら新しいプレースタイルを導入することの難しさを語っている。

 

「最初の年は厳しかった。チームは何とか持ちこたえていた。シーズン中盤までは戦えていたけれど、少しずつ順位を落としていった」

 

その背景として挙げたのが、補強への投資や既存の契約をめぐる制約だった。

 

「降格するのが1チームだけだったこともあって、クラブはあまり多くのお金を投じたがらなかった。大きく変えることにも消極的だったし、契約が絡む事情もあった。いろいろな難しさがあった」

 

2023年のJ1では18クラブ中、最下位の1クラブのみがJ2へ降格する大会方式が採用されていた。

 

ポヤトス氏によれば、そうした状況もクラブの補強判断に影響していたという。

 

さらに、翌2024年に向けては投資を増やすという話があったものの、実際の補強規模は期待していたほどではなかったと振り返った。

 

「2年目には、どこのクラブでもあることだけれど、『もっと投資しよう』という話になる。でも、実際にはそれほど投資されなかった」

 

ただし、クラブの資金を管理しているのは自分ではないとして、強い不満を訴えるつもりはないとも付け加えている。

 

「お金を出すのは私ではないから、不満を言うつもりはない。その点は理解している」

 

具体的な補強予算や、どの選手の契約が問題になっていたのかについては明らかにしていないが、監督として理想のチームを一度に完成させることは難しかったようだ。

 

◼️「J2には誰がいる? J3に良い選手は?」下位カテゴリーに目を向けた補強戦略

 

そうした制約のなかでポヤトス氏が生かしたのが、スペインで長く携わってきた育成年代の経験だった。

 

指導者としてキャリアを積み始めたグラマネットでは、バルセロナやエスパニョールに有望な選手を獲得される前に、才能ある若手を発掘する必要があったという。

 

「グラマネットで仕事をしていたときは、バルセロナやエスパニョールより早く動かなければならなかった。翌年には彼らに獲得されてしまうような選手を、先に見つける必要があった」

 

その経験から、G大阪でも下位カテゴリーの選手を積極的にチェックすることを考えた。

 

「J2にはどんな選手がいるだろうか。J3には良い選手がいないだろうか。そうやって探し始めた」

 

有名選手の獲得だけに頼るのではなく、日本国内の幅広いカテゴリーに目を向け、チームに必要な選手を見つけるという方針だった。

 

「日本のリーグは非常に拮抗している。選手を探し、少しずつ補強していった。そうするとチームは失点が減り、良いサッカーができるようになった」

 

その成果は2024年シーズンに表れる。

 

G大阪は18勝12分け8敗、勝ち点66でJ1リーグ4位に躍進。前年の16位から12も順位を上げ、再びリーグ上位を争うチームとなった。

 

天皇杯でも決勝に進出し、国立競技場でヴィッセル神戸と対戦した。

 

しかし、結果は0-1で敗戦。タイトル獲得には届かなかった。

 

「神戸とのカップ戦決勝を戦った。残念ながら負けてしまった。正直に言って、彼らのほうが上だった。それ以上に言うことはない」

 

神戸の実力を率直に認めながらも、低迷していたG大阪が再びタイトルを争う舞台へ戻ったことは、ポヤトス氏にとって大きな成果だった。

 

◼️ACL2で6戦全勝も退任「双方が合意に至らなかった」

 

2024年のリーグ4位という成績は、G大阪を再びアジアの舞台へと導いた。

 

G大阪は2025-26シーズンのACL2出場権を獲得し、2025年のグループステージでは6戦全勝を記録した。

 

ポヤトス氏は、日本のクラブがアジアの大会に臨む際の難しさにも言及。従来のJリーグが春秋制で開催されていたため、ほかの国のクラブとコンディション面で差が生じやすかったことを説明している。

 

「ほかの国のチームがシーズンを始めたばかりの時期に、私たちは何十試合も戦ってシーズン終盤に差しかかっている。相手は非常にフレッシュな状態で、こちらは多くの試合をこなしていた」

 

それでもチームはグループステージを全勝で突破した。

 

しかし、ポヤトス氏はその先の戦いを指揮することなく、2025年12月をもって退任した。

 

契約をめぐる経緯については、次のように説明している。

 

「12月になり、シーズンが終わる頃に、双方が合意に至らなかった。残念だった」

 

合意できなかった具体的な条件については明らかにしていない。

 

一方、3年間かけて立て直したチームで、アジアのタイトルへの挑戦を最後まで続けられなかったことには心残りがあるようだ。

 

「ガンバ大阪では3年間、チームを立て直そうと戦ってきた。最後まで続けられたらよかったけれど、サッカーではこういうこともある」

 

そして、ポヤトス氏の退任後もG大阪はACL2で勝ち進み、2026年5月には決勝でサウジアラビアのアル・ナスルを1-0で下して大会初優勝を達成した。

 

G大阪にとって、2008年のACL制覇以来となるアジアのタイトルだった。

 

◼️「後任監督は、私が就任したときとは違う環境を引き継いだ」

 

G大阪が自身の退任後にACL2を制したことについて話題が及ぶと、ポヤトス氏は3年間で取り組んだ改革について、強い自負を見せた。

 

「いつも言っていることだけれど、最大限の敬意を込めて、一つだけ言えることがある。私の後に来た監督は、私が就任したときと同じ環境を引き継いだわけではない。それだけは言える」

 

その具体例として挙げたのが、トレーニングやコンディション管理の仕組みだった。

 

ポヤトス氏によれば、自身がG大阪に来た当初、ケガの予防やジムでのトレーニング、技術・戦術面を改善するための補強的な練習などが、十分に体系化されていなかったという。

 

「私が来たとき、ケガの予防やジムでのトレーニングなどは、選手たちがかなり自由にやっていた。技術・戦術面でも、足りない部分を改善するための補強的な練習が組織的に行われていなかった」

 

そこで、スタッフとともに選手個々の課題に取り組む仕組みや、チーム全体としてのトレーニング方針を整備したと説明した。

 

ただし、自身の方法が唯一の正解だったと主張しているわけではない。

 

「それが良い方法だったか悪い方法だったかを言いたいのではない。それまでなかった仕事の哲学を作ったということだ」

 

そのうえで、次のように語っている。

 

「少なくとも、私の後に来た監督は、私が来たときにはなかったものを引き継いだ」

 

これはクラブ内部の運営についてのポヤトス氏自身の評価だが、G大阪での仕事を単なる試合結果だけではなく、チームの基盤づくりとして捉えていることがうかがえる。

 

◼️日本での指導は「常識を考え直す経験」…言語と文化の壁に苦労

 

徳島とG大阪での5年間を振り返るなかで、ポヤトス氏は日本人選手とのコミュニケーションに苦労したことも率直に明かした。

 

まず大きな壁になったのが言語の違いだった。

 

通訳を介して選手たちに指示を伝えなければならず、戦術的な細かなニュアンスを正確に共有することは簡単ではなかったという。

 

それ以上に難しかったのが、文化的な価値観の違いだった。

 

「最初の頃は、自分自身と格闘していた。なぜ選手たちがそういう行動を取るのか、理解できなかった」

 

そこで、日本文化についての書籍などを読み、考え方や行動様式を理解するよう努めた。

 

「私たちの常識と、日本人の常識は大きく違う。時にはまったく正反対だ」

 

例えば、戦術練習で右サイドのプレーについて説明すると、選手から左サイドではどうするのかと質問されることがあった。

 

スペインでは、右サイドで説明した原則は左サイドにも左右を反転して応用すると理解されることが多い。しかし、日本ではそれも明確に説明する必要があると感じたという。

 

「右サイドではこうする、と説明すると、『左サイドでは?』と聞かれる。左右対称に考えればいいと思うかもしれないけれど、『それも言ってください。言われなければ当然とは思いません』ということなんだ」

 

また、選手間の上下関係が明確で、若手選手が発言を控える傾向があると感じたことや、公の場で選手を厳しく叱責することには慎重さが必要だったことにも触れている。

 

こうした経験を通して、ポヤトス氏は指導方法を見直す必要に迫られた。

 

「情報の伝え方も含め、すべてを考え直さなければならなかった」

 

スペインで成功した指導方法をそのまま持ち込むのではなく、日本人選手の考え方に合わせて伝え方を変えていく。そうした試行錯誤も、日本での5年間を通じた重要な経験になったようだ。

 

◼️「Jリーグはアジア最高」日本サッカーへの過小評価を指摘

 

異文化への適応に苦しんだ一方、ポヤトス氏は日本サッカーの競技レベルについて、非常に高い評価を示した。

 

「少し物議を醸すかもしれないけれど、日本サッカーは十分にリスペクトされていないと思う。人々は日本サッカーを正当に評価していない。実際に日本へ行くと、そのことに気づく」

 

ポヤトス氏が高く評価したのは、日本のクラブの組織力、競争環境、スタジアム、選手の質などだ。

 

特に、豊富な資金力を背景に世界的スター選手を獲得しているサウジアラビアのリーグと比較しながら、Jリーグの総合的な水準を称賛した。

 

「サウジアラビアにはお金があり、世界的な選手も集まっている。でも、競技レベルやスタジアムなどを考えれば、私にとってJリーグはアジア最高のリーグだ」

 

日本人選手の身体能力についても、高い評価を示している。

 

「日本人選手は速く、ダイナミックで、持久力がある。サッカーをするための優れた身体的特徴を持っている」

 

そのため、近年多くの日本人選手が欧州へ進出し、主要リーグで活躍していることにも驚きはないという。

 

また、日本のクラブが若い選手を欧州へ送り出すことについては、監督として葛藤を抱いた経験も明かした。

 

「優勝を争っているときに選手を売却するとなれば、監督としては『売らないでくれ』と思う。でも、日本は代表チームの強化という目標を明確に持っている」

 

日本代表を率いる森保一監督についても、礼儀正しく勤勉な人物だと評価。日本代表が自分たちの選手の特徴を理解し、それに適した戦い方を確立している点を称賛した。

 

さらに、日本を世界でも特に進歩の著しいサッカー国の一つと位置づけ、その成長は決して偶然ではないという考えを示している。

 

◼️大阪ダービーで衝撃「セレッソのファンが拍手していた」

 

日本のサポーター文化についても、忘れられない体験があったという。

 

G大阪の監督としてセレッソ大阪の本拠地を訪れた際、スペインのダービーとはまったく異なる光景を目にした。

 

「スタジアムに着くと、辺りはセレッソのピンク色だった。ところが、みんなが拍手をしている。『一体どうなっているんだ?』と思った」

 

スペインでは、バルセロナとエスパニョール、レアル・マドリードとアトレティコ・マドリードなど、ライバル同士の試合では非常に強い緊張感が漂う。

 

そのため、敵地でも拍手で迎えられる日本の光景は、ポヤトス氏にとって大きな驚きだった。

 

「日本のファンは、劇場や映画館に行くような感覚でスタジアムへ足を運ぶ。何か素晴らしいものを楽しみに行くんだ。私たちスペイン人とは、情熱の表し方が違う」

 

試合に負ければもちろん悔しがるが、その感情の表現はスペインとは異なると感じたという。

 

また、試合後には勝敗にかかわらず、相手チームのバスにまで拍手を送るファンがいることにも触れた。

 

「勝っても負けても、相手のファンが拍手してくれる。実際に経験しなければ、なかなか理解できないことだ」

 

異なる形でサッカーへの情熱を示す日本のサポーター文化は、強く印象に残ったようだ。

 

◼️「今でも『助けてほしい』というメッセージが届く」G大阪サポーターへの感謝

 

G大阪を退任した後も、ポヤトス氏のもとには日本のサポーターから多くのメッセージが届いているという。

 

「今でも愛情を感じられることがうれしい。チームは今、あまり良いスタートを切れていなくて、苦しんでいる。だから人々が比較するのは避けられないことだ」

 

そして、次のように続けた。

 

「監督は在任中もほかの監督と比較されるし、去った後も比較される。それでも今なお、感謝の言葉や『お願いだから助けてほしい』というメッセージがたくさん届いている」

 

退任した監督が後任と比較されることはサッカーの世界では珍しくないと理解しつつも、自身の仕事を覚えていてくれるファンの存在は大きな喜びになっているという。

 

さらに、小さなクラブから指導者としての道を歩んできた自身が、G大阪のような名門で大勢の観客を前に指揮を執った経験について、感慨深そうに語った。

 

「私は普通の街の人間で、小さなクラブから仕事を始めた。そんな自分がガンバ大阪のようなクラブで、4万人もの観客の前に立つことになるなんて、想像したこともなかった」

 

そして、日本での5年間を次のように締めくくった。

 

「本当に美しい時間だった。私にとっても家族にとっても、ずっと心の中に残る経験になる」

 

◼️「残されたチャンスは多くない」今後の監督キャリアについても言及

 

インタビューの最後には、今後のキャリアについても率直な考えを明かした。

 

G大阪を離れ、次の挑戦を模索しているポヤトス氏だが、すぐに新しいクラブの監督に就任することを最優先には考えていないという。

 

「今のサッカー界では、自分で行き先を選べる監督は15人か20人くらいしかいないと思う。それ以外の私たちは、与えられた状況に適応しなければならない」

 

また、トップリーグでプレーした経験を持つ元スター選手と、指導者として長い年月を積み重ねてきた人物との間には、評価のされ方に違いがあるとも指摘した。

 

「1部リーグでプレーしたというだけで、25年間指導を続けてきた人よりも知識があるように思われることがある。その長年の経験は十分に評価されない。でも、私はそれを批判するつもりはない。サッカー界はそういうものだと理解している」

 

そのうえで、次の仕事を選ぶ際の考え方を次のように説明した。

 

「今は、早い決断ではなく、良い決断をしたい。私の監督人生には、残された弾がそれほど多くないと思っている。だから、そのチャンスをうまく使わなければならない」

ポヤトス氏が重視しているのは、単に知名度の高いクラブを率いることでも、早く次の仕事を見つけることでもない。

自身のサッカー哲学を実践でき、選手とともに成長できる環境を求めているという。

 

「私はサッカーが本当に好きなんだ。ジョルディ・クライフからは『ロマンチスト』と呼ばれていた。サッカーというゲームそのものが好きだし、選手たちと仕事をしながら、自分自身も成長できるクラブで働きたい」

 

ただし、理想だけを追い求められないことも理解している。

 

「もちろん、仕事をしなければならないし、勝たなければならない。家族もいるし、お金の問題もある」

 

監督としての情熱と、家族や生活を支える責任。その両方を考えながら、次の進路を慎重に決めたいという姿勢を示した。

 

そして、自身のキャリアでは、エスパニョールから離れたときも、レアル・マドリードからパナシナイコスへ移ったときも、日本へ渡ったときも、その都度、新たな環境で自分の価値を証明する必要があったと振り返った。

 

今後については、どのような選択肢が現れるかによって判断するとしており、現時点で特定の国やクラブへの復帰を明言しているわけではない。

 

◼️日本での5年間が残したもの

 

徳島では、コロナ禍による入国制限という異例の状況で監督生活をスタートさせ、J1降格を経験。翌年には主力選手の大量流出という難題に直面しながらも、チームを再編成して昇格争いに加わった。

 

G大阪では、残留争いに苦しむ名門クラブを引き継ぎ、補強をめぐる制約と向き合いながら、下位カテゴリーからの選手発掘やトレーニング体制の整備に取り組んだ。

 

その結果、2024年にはJ1リーグ4位、天皇杯準優勝を達成。再びアジアの舞台に立つチームへと成長させた。

 

2025年限りで退任し、自らACL2優勝の瞬間を迎えることはできなかったが、ポヤトス氏は自分がG大阪に残した仕事への誇りを隠さない。

 

一方で、日本人選手の考え方や文化の違いに戸惑い、自らの指導方法を見直す必要があったことも率直に認めている。

 

日本での5年間は、指導者として結果を残すだけでなく、異なる文化を理解し、自身のサッカー観を広げる時間でもあった。

「日本サッカーは十分にリスペクトされていない」

 

日本を離れた今も、その競技レベルと可能性を高く評価するポヤトス氏。そして、徳島とG大阪で積み重ねた経験を胸に、次なる挑戦を見据えている。

 

「早い決断ではなく、良い決断をしたい」

 

情熱を失うことなく、しかし決して焦らずに。日本で過ごした5年間を糧に、スペイン人指導者は次の一歩を慎重に選ぼうとしている。

 

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