スペイン語メディアの『インフォバエ』は28日、ガラタサライ所属の元アルゼンチン代表FWマウロ・イカルディが、娘との面会交流のために元妻のワンダナラ(法的には離婚は完全に成立していない)の家を訪れ、娘を引き取るまでの約10時間の内幕を綴った。
ワンダナラ、マウロ・イカルディ、ふたりの娘、そしてシャトー・リベルタドール(ワンダが住むタワマン)…。
アルゼンチンにおける重大メディアスキャンダルの歴史に残るであろう一日の主役たちと、フランスの香り漂う宮殿のような舞台。裁判官、弁護士、公務員、警察、医師、そして問題を抱えた近隣住民が、10時間にわたる緊張と不確実性の舞台を構成した。二つの対立する勢力、誰も屈服する気配はなく、その中心には、8歳と10歳の二人の少女が、無防備な犠牲者として描かれていた。
晴れて寒い冬の6月27日の金曜日の朝、イカルディは約6カ月、そして3度の試みの失敗を経て娘たちと会う予定だった。
アルゼンチンの司法当局はイカルディが7月4日の金曜日までイカルディが娘ふたりとイカルディ家での宿泊を含む7日間の面会交流を許可。最初の数日間は娘たちが父親と2人きりで過ごすことが条件とされた。そしてその後数日で、イカルディの恋人のエウヘニア・“チナ”・スアレスが徐々に交流に立ち会うことができる。
全ては明確かつ簡潔で、署名も済んでいた。しかしながら、結局は全国的に報道されるスキャンダルに終わった。
そして実のところ、ほとんど誰も驚かなかった。
イカルディは27日午前11時の数分前にSUVを運転し、自身の弁護士のエルバ・マルコベッキオとララ・ピロに付き添われて到着した。手続き上、彼は地下ガレージで階下の少女たちと合流するのを待つことになっていた。ワンダとイカルディは直接会うことができないため、娘たちはペットを連れて、ベビーシッターと一緒にタワマンの下に降りなければならなかった。
イカルディは頭の中で、数時間後にブエノスアイレスのノルデルタにある自宅で娘たちと会うことを思い描いていた。その間、ワンダはアメリカへの出張(FIFAクラブワールドカップ観戦など)を計画していた。
しかし、時間が刻々と過ぎ焦燥感が募り始めた。
カメラと傍観者をかわしながらイカルディが急いでタワマンに入ったのが具体的な出来事をうつした最後の映像だった。それ以降、ワンダのタワマンの部屋と地下ガレージの間で何が起こったのか、様々な憶測が飛び交った。
建物の外では警察、救急車、裁判所からの召喚状、大規模な報道陣のパトロール。そして、その映像がアルゼンチン国民お気に入りのメロドラマとなった。ある私的な陰謀にハラハラドキドキしていた。
予定の時間になり、検察庁のフェルナンダ・マテラがワンダ邸へ娘たちを迎えに行った。娘たちは荷物をまとめ、ペットを連れ、父親と1週間過ごす準備をしていた。
しかし、そこで合意された手続きを妨げる出来事が起こった。
アルゼンチンで有名な記者で番組司会者のアンヘル・デ・ブリトによると、娘たちはイカルディに会いたがらず、その理由はイカルディの現在のパートナーだとされた。アンヘルは「一番抵抗したのは長女で、面会について何もしたくないと行った。次女は泣き出して行きたくないと言った」と語った。イカルディの娘は父親の現在のパートナーであるチナ・スアレスとうまくいっていないと主張したという。「あんな人たちと一緒に暮らしたくない」と娘は言ったと伝えられている。
イカルディの関係者たちは、ワンダナラの行動を「サーカス」と表現した。ワンダの叫び声はアパートの壁の外まで響き渡っていた。このビジネスウーマンは、元夫が娘たちを(ガラタサライの本拠地)トルコに連れて行くのではないかと恐れていた。
イカルディは間もなくガラタサライのプレシーズンに合流予定だった。時間が経つにつれ、正反対の意見が浮かび上がった。イカルディは娘たち無しでその場を離れる意思はなく、ワンダは娘たちを引き渡すつもりはいようだった。そして娘たちも、父親と一緒に行くことに乗り気ではなかった。
1時間にわたる交渉の後、娘たちは裁判官とビデオ通話を行いジレンマに包まれた状況を説明した。少女たちはどうしてやりたくないことを強制されてしまうのか? 現地の番組『ア・ラ・タルデ(アメリカTV)』に出演したワンダの友人であり弁護士でもあるアナ・ローゼンフェルド氏によると、未成年の娘たちにとって唯一の条件は、チナ・スアレスが書面による判決の条件とは異なり、父親との面会に同席しないことだったという。
また、ワンダもイカルディに対し、ノルデルタのイカルディ家に行く代わりに、イカルディの元恋人が訪ねてこないという条件でサンタバルバラのイカルディの別宅で娘たちと過ごすよう提案していたことも明らかになった。ビデオ通話は合計4回行われ、交渉の進展に大きく貢献した少女たちの監護者マルセロ・ジャリルも参加した。
午後3時46分、3人の男性警官を乗せた2台のパトカーがワンダのタワマンがあるヌニェス地区に現れた。彼らはモンタニェス通りの玄関から入り、 第106民事裁判所からの召喚状を携えていた。ワンダに対し、少女たちをイカルディに引き渡すよう命じる内容だった。
その書類には「警告する。もし従わない場合は、本日中に制服を着用しない女性職員による治安部隊の介入を命じる。彼女たちは家に入り、必要に応じて錠前を破壊し、必要に応じてSAME(緊急医療対応システム)の立ち会いを求める権限を持つ」と、冷たく書かれていた。
しかし、これでは不十分だった。自宅にバリケードを張り、立場をわきまえたワンダは、娘たちが国外に連れて行かれないという保証の文書と署名を求めてきた。
しばらくして、家庭内暴力・性暴力監督局の警察車両が現場に到着した。現場には既にコミッショナー、私服警官、そしてシャトーの警備員が配置されていた。
彼らと共にいたのは近隣住民たちだった。ワンダ家の近くに住む人たちは、物語の解明が半ばに差し掛かっていたこの事件に不本意ながら巻き込まれていた。SAME(緊急医療対応システム)の到着によって事態は既に人質事件の様相を呈していた。
「これは誘拐だ!」とイカルディの弁護士ララ・ピロが何度も叫ぶ声が聞こえた。ワンダの近隣住民は再び世論の注目を集めることにうんざりし、有名人である隣人への不満を露わにした。「私たちがどれだけの犠牲を払っているか知っているのか…」と、ある住民は不満を漏らした。
他の人々はイカルディに同情し、階下に食べ物や飲み物を持って行った。少なくともシャトー内では、エンターテインメント界を二分する亀裂は、明らかなる勝者を生み出した。
シャトーのエレベーターは休みなく稼働し、弁護士や関係者がひっきりなしに出入りしていた。イカルディは10時間ずっとガレージに留まり、弁護士と同席することもあったが、ほとんどは一人で過ごした。イカルディの弁護士マルコベッキオはワンダ家の中での諸々の案件を担当し、イカルディのもう一人の弁護士ピロはシャトーの地下でイカルディへの情報提供のために出入りしていた。悪いことに、シャトーの地下では電波が届きにくかった。ワンダ側では、ニコラス・パシャロラ率いる弁護士チームが同席していた。だが、娘たちの父母の弁護士間の対話は一切行われなかった。
ワンダの邸宅では、スタッフに加え、友人グループが現場を撮影していた。イカルディの代理人も現場を撮影していた。両者とも、建物の防犯カメラやジャーナリスト、傍観者から提供された映像を補足するマルチメディアコレクションとして、全てを記録したいと考えていた。そして、新たな物語が始まった。
事件はエスカレートし、ブエノスアイレス警察の家庭内暴力・性暴力担当責任者が介入し、最終的にワンダを説得して屈服させた。鍵となったのはジャリルの粘り強さだった。彼は年初から両親からの虐待に耐えてきた少女たちの精神状態に訴えかけ、常識にあまりにも近いと思われる格言を唱えた。「二人の少女が父親と母親のどちらと一緒にいたいか決められないのであれば、裁判所が決めなければならない」
ワンダが住むタワマンに到着してから10時間以上が経った午後9時8分、イカルディはSUVでシャトー・リベルタドールを後にした。
今回は弁護士は同行せず、幼い娘たちを後部座席に乗せていた。彼の潤んだ目には、多大な犠牲を払って手に入れた勝利への喜びと、永遠に続くかと思われた騒動に対応した弁護士たちへの感謝の眼差しが混ざり合っていた。
こうして、ジャーナリストの詮索、噂、リーク、世論、そしてあらゆる意見が飛び交う中、ほぼリアルタイムで放送された一日は幕を閉じた。
そして今、新たな章が始まる。娘たちとの再会を描いた父親の物語だ。
娘たちの部屋には、プレゼント、待ちに待った抱擁、そして待ちに待った笑顔が溢れ、待ちわびた時間はすべて報われた。そして、娘たちはこの時間が少なくとも1週間は続くことを願っている。
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